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現代小説/歴史小説

『襲撃』

青木 航著




 西暦九百六十一年、応和《おうわ》元年、癸亥《みずのといぬ》の年の夏。我が国は平安中期にあり、承平《じょうへい》の乱が終結してから二十年の歳月が流れていた。

 夜叉丸《やしゃまる》が草や雑木を蕨手刀《わらびてとう》で切り払いながら先導し、千方《ちかた》、秋天丸《しゅてんまる》のふたりが続いて急な斜面を登って行く。馬は下の谷に置いて来た。老臣の朝鳥《あさどり》を残して見させている。
 あと二間ほどの所で夜叉丸が止まった。
「この上で御座ります。様子を見て参ります。ここでお待ちを」
と体を寄せて来て小声で言う。
 痩せ気味で筋肉質の精悍な体付き、眼窩《がんか》が窪んで恐ろしげな顔付きをしているが、戦《いくさ》に際しては、千方が最も信頼を置いている男だ。

 藤原千方は、将門を討った功に因り、下野守《しもつけのかみ》、武蔵守《むさしのかみ》、並びに鎮守府将軍《ちんじゅふしょうぐん》と成り、従四位下《じゅしいのげ》に上《のぼ》った藤原秀郷《ふじわらのひでさと》の六男である。周りの者は『六郎様』と呼ぶが、今は兄・千常の猶子《ゆうし》と成っている。

「うむ」
と千方も小声で答える。体中の血が沸き立つような感覚を覚えた。
 夜叉丸は身軽に登って行き、間も無く降りて来た。
「数は凡そ十五。車座に成ってのんびりした様子で御座います。恐らく、下に放った物見が戻るのを待っているものと思われます」
「馬はどこに繋いでおる? 」
 千方が尋ねる。
「十間ほど離れた所に繋いであります」
と夜叉丸が答える。
 左手で雑木を掴んで、急な斜面で体を支えながら、千方は天を仰いだ。
 茂った木々の隙間から見える空からは陽光が容赦なく照り付けており、僅かな風に乗って、薄い雲が流れているが、体中から汗が噴き出る暑さだ。

「下に出した物見が戻って来た処を襲う。だが、そう長くは待てぬな」
 上腕を覆う袖に、吹き出す汗を擦り付けて拭いながら、千方が言った。
「一刻ほど前に我等が見て参った場所から察しますと、荷駄はもう近くまで来ているものと思われますので、物見も間も無く戻りましょう」
 秋天丸が背負っていた半弓を外しながら応じる。
 汗が滴り落ちるが、顔に滴る汗は拭おうともしない。ただ、しきりに、両の掌《てのひら》を衣服に代わる代わる擦り付けて拭う。
 秋天丸は、夜叉丸とは違って、地味な農夫のような平たい顔の男だが、良く見ると小柄な体は引き締まっており、やはり、どこか殺気を帯びている。
 千方は、粗末な直垂《ひたたれ》の上から締めた革の腰紐に挟んで吊るした竹筒を取り、水を口に含み、その涼しげな目で、もう一度空を見上げた。
 二十六歳にしては幼げな面影を残しており、とても、修羅場を潜って来た男とは思えない面立ちである。それも、二度や三度の経験では無い。だが、やはり戦いを目前にすると緊張する。少し下の狭い平場で、放尿は既に済ませていた。
「間に合って良かった」
 千方は、独り言のように呟いた。

 荷駄の一行を見送ったのは、昨早朝、舘の前であった。
「本来なら麿が行かねばならぬ処だが、造作をお掛け致す」
「何の、我等、六郎様の"家の子" 。もはや、叔父・甥と言う立場はお忘れ下され。亡き将軍様に受けたご恩を思えば六郎様のお役に立てることが、何よりの仕合せと心得ております」
 豊地は人の良さそうな笑顔を見せて頭を下げた。
 母・露女の二人の弟のうち上の弟である。
 露女の父は武蔵国の内の北東に位置する草原郷《かやはらごう》の郷長《さとおさ》・草原久稔《かやはらのひさとし》で、千方の実父・秀郷の祖母の実家である下野《しもつけ》の鳥取《ととり》氏との縁を持っていた。
 そんな関係で承平の乱の折、将門の動向を探っていた秀郷が寄宿した際、伽《とぎ》に出たのが露女であった。露女は千方を生んだ。千方は草原郷の久稔の舘で育ち、幼い頃文武を教えたのが豊地なのだ。

「道中の無事、祈っております。都に着きましたら、兄上に宜しくお伝えください。六郎も近いうち参りますと」
「心得ました。都の殿もさぞかしお喜びでしょう」
「さて、それはどうかな」
と千方はぼそっと言った。
 言上《ごんじょう》を聞いた時の兄・千晴の表情が目に浮かんだ。恐らく、無表情に
「大儀《たいぎ》」
と言うだけであろう。そう思った。
 豊地が急に険《けわ》しい表情と成る。
「六郎様、そのような物言いはなりませんぞ。兄君・千晴様は京でご出世され、千常様が坂東を治める。この両輪が揃ってこそ、ご一族が繁栄すると言うものです。亡き将軍様のご威光は衰えていないといえども、村岡五郎(平良文《たいらのよしぶみ》)の子、次郎(平忠頼《たいらのただより》)など油断のならぬ輩《やから》は多御座います。ある意味、国司とも戦わなければなりませぬからな。一族の結束が何より肝要で御座います」
「分かっておるわ。他の者の前では言わん」
 己の発した言葉に少し後悔の念を滲ませながら、自嘲気味《じちょうぎみ》に千方が呟く。
「どうかそのようにお願い致します。口から出た言葉は放たれた矢と同じ。もはや弦には戻せませぬ。宜しいな。御身《おんみ》を大切になさりませ」
 千方は、別に長兄の千晴を嫌っている訳では無かった。只、千晴は、千方に取って父の秀郷以上に遠い存在に思えているのだ。”家の子” である千方に取って千晴は、兄と言うよりむしろ主《あるじ》に近い存在として心の中に在る。
 比べてすぐ上の兄(と言っても二十歳近く年の差がある)であり、大きな後ろ盾《だて》の無い千方の養父となってくれた千常は、その母の出自《しゅつじ》の良さに反して、がさつで乱暴な男ではあるが、常に千方のことを心に掛けてくれていた。十四の歳に父との対面の段取りをしてくれたのも、父の手で元服出来るよう計らってくれたのも、千常であった。その代り何度殴られたか分からない。

 たった一夜の交わりで、露女は千方を孕《はら》んだ。しかも、当時の秀郷は、既に五十三歳。周りの者達は疑った。しかし、月足らずでの出産では無い。調べてみても、当時露女の許に通っていた男は無く、露女の身持ちも固いと言う情報しか得られない。秀郷も我が子と認めた。だが、名を付けてくれた以外は、言わば養育費代わりの品々が送られて来るのみで、千方十四の年に千常が取り計らってくれるまで、対面することも無かった。

「では、京で会おうぞ。我等も所用を済ませたら、急いで参る」
 千方は、千晴に感じる違和感を振り払うかのように、話を本筋に戻した。
「はい。それまで、都の女子《おなご》など眺めて日を過ごしてお待ちします」
 大柄な体を深く折って千方に挨拶した後、豊地が荷駄隊の方に体を向けて、
「参るぞ! 出立《しゅったつ》じゃ! 」
と良く通る声を上げた。

「参りましたぞ」
 夜叉丸が押し殺した声で告げた。千方にも、向こう側の坂道を駆け上がって来る馬蹄の響きが聞こえた。
 千方ら三人は崖の上によじ登り、雑草の中に身を伏せた。左手にはいずれも半弓と二本の矢を持っている。機は一瞬である。男達が馬に駆け寄る前に倒さなければならない。

 崖の上の台地。
「来おったか。で、護衛は? 」
 頭《かしら》らしき大男が物見から帰った男に聞く。
「五人に御座る」
「ふん、五人か。ま、そんなものであろう。半数はここで昼寝をしておっても良いかも知れぬな。はっはっはっは」
 修羅が迫っているとも知らず、男は高笑いをしている。

 その瞬間、千方ら三人が、叢《くさむら》の中から躍《おど》り出た。
 驚いた男達がその方向に顔を向けた時には、三本の矢は既に放たれていた。頭《かしら》らしき男は正確に首を射抜かれて卒倒した。他にも二人、同じように首を射抜かれて倒れる。
 悶絶する暇も無く声も上げない。動脈に矢が刺さった二人の首からは、矢を朱に染めて、赤い糸のように血が噴き出している。他の男達が唖然とした瞬間、もう二の矢が放たれていた。更に三人が倒れる。
 やっと我に返って、何が起きたかを悟った男達が、太刀を抜き掛けた時、半弓と矢筒を男達に向かって投げ付け、太刀を抜き放った千方達が、既に飛び込んで来ていた。弓と矢筒をその場に捨てず、戦いの場に投げ込んだのは、逃げ出す者が出た時、素早く拾って射る為だ。武具を投げ付けるなどと言うのは、当時の常識としては論外である。
 先頭の男は太刀を抜き掛けた腕を千方の振るった毛抜形太刀《けぬきがたのたち》で斬り落とされ、悶絶して倒れ、大地を転げ回る。
 赤い血が土に振り撒かれ、千方の頬や直垂《ひたたれ》にも掛かった。僅かな血の飛沫はすぐに地に吸い込まれ、腕の切り口から流れ出る鮮血は土の上で盛り上がって、少しずつ、不気味に色を変えて行く。夜叉丸と秋天丸もそれぞれまた、一人ずつ倒していた。
 男達は一斉に後退《あとずさ》りし、両者の間に間合いが出来た。
 奇襲を受け混乱した状態から、やっとのことで一瞬脱け出ることが出来たのだ。千方に右腕を切り落とされた男は、喚きながら地を転げ回っている。既に大量の出血をしている為、放って置けば、やがて失血死するだろう。その様《さま》が、男達の恐怖心を煽った。
 間合いを取ったとは言え、山の中腹に開けた台地でのこと、それ以上下がる余地は無い。おまけに、千方達はいつの間にか、男達と馬の間に入り込んでいる。彼等を倒さない限り、男達に逃げ道は無いのだ。戦《いくさ》でも無ければ、遺恨を持った果し合いでも無い。逃げられるものなら、彼等は逃れたい。命まで懸ける理由など無いのだ。
 しかし、逃げられないと分かったら肝《きも》が据わる。転げ回っている男を含めてあっと言う間に九人が倒されたとは言え、自分達は六人も残って居るのだ。二人一組で相手一人に当たることが出来るではないか。男達の誰もがそう思い始めた。
 異様な騒ぎに怯《おび》えた馬達が騒ぎ出し、その内の一頭が、甘く結んだ手綱を振り解いて駆け去った。
 命を懸けた接近戦で、時代劇のヒーローのように、ばったばったと斬り倒すなどと言う芸当は、奇襲を受け混乱し逃げ惑う敵を討つ場合を除いて、出来るものではない。
 一旦動きが止まり、相手に状況を判断する余裕が出来たら、やはり数が物を言う。まして、この時代にはまだ、『剣術』などと言う体系的な技術は生まれていない。個々に戦いの中で会得した術《すべ》は持っているにしても、要は、体力と気力が勝負を決する。
 一対一の戦いでは、先に息切れした方が負ける。疲労に因り体の動きが鈍くなり、相手の攻撃を避けられなく成るのは、テクニックを駆使した現代のボクシングや格闘技でも言えることだ。まして、一時の混乱を脱して腹を括《くく》った男達と、二対一と成るこの戦いでは、千方側に勝ち目はまず無い。
 気持に余裕が戻ったのか、男達のうちの一人が不敵に笑った。
「たった三人で、良くもここまでやってくれたものだな。だが、これまでだな。仲間の仇《かたき》は取らせて貰う」
 その言葉に勢い付いてか、他の男達の表情にも余裕が浮かび上がる。
 男達は、野伏《のぶ》せりや野盗の類《たぐい》では無い。柄《がら》の悪い者も居るが、明らかに主持《あるじも》ちらしき者も居る。直垂《ひたたれ》の上に胴丸、小具足《こぐそく》といった出《い》で立ちだ。
 男達はじりじりと間合いを詰め始めた。互いに汗が吹き出す。目に入らぬよう、眉根《まゆね》に力を入れ、盛り上げる。
 その時、千方が行き成り大音声《だいおんじょう》を発した。
「麿は前《さきの》鎮守府将軍《ちんじゅふしょうぐん》・藤原秀郷《ふじわらのひでさと》が六男にして、今は千常が猶子《ゆうし》、藤原朝臣《ふじわらのあそん》・六郎千方なり。うぬら、ただの野盗とも思えぬ。主持《あるじも》ちであろう、名乗れ! 」
「何を抜かす。いきなり襲って来て、これだけの者を殺して置いて、我等を野盗呼ばわりするなど片腹痛いわ。野盗、海賊の類《たぐい》まで、源平藤橘《げんぺいとうきつ》を僭称する昨今《さっこん》、何が藤原か。うぬらこそ盗賊であろう。我等、公《おおやけ》に仕える者。さて、八つ裂《ざ》きにしてくれようか。それとも、ひっ捕らえて、検非違使《けびいし》に引き渡そうか」
 目のぐりっとした小柄な郎等風《ろうとうふう》の男が恐怖心を押し殺して言い放った。
「何? 公《おおやけ》に仕える者とな。それはそれは。そう言えば、武蔵権守《むさしのごんのかみ》(長官である“ 守” に準ずる官職)・源満仲《みなもとのみつなか》殿の郎等に、確か似たような顔付きの男がおったような気がするな。とすれば、満仲殿が我が家の荷駄を襲えと命じたと言うことか? そんなはずは有るまい」
 満仲と言う名を聞いた途端、男達の顔が一斉に強張《こわば》ったのを、千方は見逃さなかった。元よりこの男の顔など見たことは無い。鎌を掛けて動揺を誘ったのだ。
 男達が互いに顔を見合わせた瞬間、夜叉丸、秋天丸の手から、褐色の玉が同時に飛び、二人の男の顔にそれぞれ当たった。玉は弾《はじ》け、茶褐色の粉が舞い散った。
 当たった男達は、両手で顔を覆ってしゃがみ込み、傍に居た二、三人も、舞い上がった粉で目を開けて居られない様子。すかさず、夜叉丸と秋天丸がしゃがみ込んだ男達の側に居た二人に飛びかかり、胴丸の隙間から突き上げるように蕨手刀《わらびてとう》で刺した。
 そして秋天丸は、振り向きざま、もう一人の男の膝を蹴り、転倒させ、馬乗りになって喉笛を切った。
 吐く息が血を潜り、ひゅるーと言うまさに笛の音色に似た音がして、吹き上がり秋天丸の顔を襲ったが、予期していたのか、予め顔を背けていたので、血が目に入ることは免れた。 
 その間、千方は先ほど問答を交わしていた男と太刀打ちし、左肩から袈裟懸《けさが》けに斬り倒していた。承平《じょうへい》・天慶《てんぎょう》の乱以前には、主に直刀が使われており、斬るよりは突くことが多かったが、蝦夷《えみし》の蕨手刀《わらびてとう》を模した、反りを持った太刀が使われるように成って以来、胴丸のような軽易な具足を着けただけの相手に対しては、このような、斬り裂く刀法が多く用いられるようになっていた。
 礫《つぶて》を受けて顔を覆ってしゃがみ込んだ二人は、もはや戦う気力は全く無くなり『助けてくれ』を繰り返し始めた。腕を切り落とされた男は、相変わらず呻《うめ》きながら転げ回っている。
「ならば、まずは名乗れ。そして、何もかも白状致せば、命だけは助けてやらぬものでも無い。言うてみよ」
 千方は押し殺した声で言った。
 実は、息が上がっている。それを悟られまいと、声を押し殺しているのだ。
「わ、我等は、満季《みつすえ》様の郎等」
「何? 満季? 満仲の舎弟の満季か。彼《か》の者は今、京に在るのではないのか? 」
「我等だけ、つい先日、下って参った」
「満仲に呼ばれてか? 」
「左様《さよう》」
「満仲め。さすがに自《みずか》らの郎等を使うのはまずいと思ったのであろうな」
「満仲様は武蔵権守《むさしのごんのかみ》の任を終えられた後、都に戻り、左馬助《さまのすけ》に任じられることを望んでおります。ついては、何かと物入りとなります」 
 もうひとりの方が卑屈に、千方に取り入ろうとし始めた。
「ふん、聞かぬことまでぺらぺらと喋りおるのう。それほど命が惜しいか」
「何卒《なにとぞ》」
 いずれ、満仲とは一戦交えなければならないと千方は思った。だが、現職の武蔵権守である満仲と正面切って戦うのは、今はまずい。朝廷を敵に回せば、それこそ、将門の二の舞となることは必定《ひつじょう》であろう。そう思った。
 千方はふたりに背を向けて数歩離れた。敵に背を向けるなど、このような時、絶対にしてはならないことだが、それほど、夜叉丸、秋天丸を信頼しているのだ。そして、千方は、息を整えるように大きく呼吸をした。
「どうしたものか」
 そう思った時、 
「ぐわーっ! 」
と言う声がふたつほぼ同時に上がった。
 振り向くと、夜叉丸と秋天丸が既にふたりを斬り倒し、夜叉丸が、腕を切り落とされた男の傍に走り、刺し殺そうとしているところだった。
「夜叉丸! 」
と千方が叫んだが、構わず夜叉丸は男にとどめを差した。
「夜叉丸、何故《なにゆえ》殺した! 」
 咎めるように、千方が強く言った。だが、夜叉丸は表情も変えない。そこに秋天丸が口を挟んだ。
「戦《いくさ》とはなりますまい。こちらも武蔵権守に正面切って戦を仕掛ける分けにも参りませぬが、向こうとて、六郎様に正面切って戦を挑む力は御座いません。何しろ後ろには、下野《しもつけ》一国が控えておるのですから…… 。 となれば、夜叉丸の申す通り、六郎様のお命を密かに狙うことになりましょう。我等ふたりだけで、六郎様のお命を守り抜くことは出来ませぬ。郷《さと》から人数を呼び寄せ、交代でお傍を守らねばならぬと言うことになります。我等、根が横着者ゆえ、出来ればそうならぬようしたいと思うております」
 童《わらべ》の頃から千方に従っている二人。黙って従うだけの郎党では無い。千方に取ってその方が為に成ると思えば、遠慮なく直言する。そして、千方もまた、それを聞く耳を持っている。

 暫くの間、千方は身動きもしないで立ち尽していた。
 殺戮を悔いている訳では無い。この坂東で生き抜く為にはやむを得ないことと思っている。荷駄を奪われれば、埋め合わせなければならない。その負担は民の肩に伸《の》し掛る。それを避けたいなら、何としても奪われぬこと。或いは、自らが他の者から奪う外に無い。そんな時代であった。中途半端なことでは、何度でも襲われる。籐家《とうけ》の荷駄を襲うことに恐怖を覚えさせなければならない。

 都から下《くだ》って来る受領《ずりょう》は、任期の間にいかに私服を肥やすかに専念し、民から搾取する。その蓄えた私財を都の有力者に献じて、次にもっと豊かな国の国守《くにのかみ》に任じて貰うよう運動するのだ。だが、坂東のような疲弊した国に赴任した場合は、私財を蓄えるどころか、京に納めるべき米や布を調達することさえ困難な場合が多い。完納し、引き継ぎを済ませて、後任の国守《くにのかみ》から、国衙《こくが》の財産の引き渡しの確認をした旨の証書、解由状《げゆじょう》を貰わない限り、二度と受領の職を得ることが出来なくなってしまうのだ。
 受領の搾取が激しくなり、官人《つかさびと》や有力者が同時に群盗でもあると言う異常な状態を作り出したのは、朝廷の責任であった。
 土地と民を直接管理し、定期的に田畑の状態や戸数・民の数を調べて、それに応じた租庸調《そようちょう》を課すと言う面倒な手続きを放棄し、受領に丸投げして、受領個人の責任に於いて決まっただけのものを納めれば出世させ、納めなければ罷免し登用しないと言う、至って簡潔で楽な方法に変えてしまったことにすべて起因していた。
 短期的に稼げるだけ稼いで、さっさと京に帰りたがる受領が居る一方で、王臣貴族の家系の者が地元の勢力と姻戚関係を結び、退任後も、『前《さきの》何々様』と呼ばれ、地元に勢力を扶植して行くと言うことも片方には有った。
 十世紀の坂東は己《おの》が力のみが頼りの、正に“自力救済《じりききゅうさい》” の世界だったのだ。

 昨年、平将門の子が入京したとの噂が有り、満仲は、検非違使や大蔵春実《おおくらのはるざね》らと共にこれの捜索を命じられた。
 兵《つわもの》と呼ばれた当時の軍事下級貴族達は、本来の役職以外に、こう言った場合、駆り出される。皇族や、三位《さんみ》以上の位《くらい》の、公卿《くぎょう》と呼ばれる者達の為に良く尽した。
 もちろん、それは、猟官の為であり、惹《ひ》いては蓄財の為である。特定の公卿《くぎょう》に対してと言うよりも、特に満仲などは、万遍《まんべんな》無く奉仕し、また、貢物《みつぎもの》なども、各方面にばら撒くのだから、源経基《みなもとのつねもと》の子と言うこともあって、朝廷での評判は至って良い。
 その代り、財はいくら有っても足りない。だが、富んだ国の受領に成り、民や富裕層から搾り取れば元は取れるし、それ処か、何期か努めれば、莫大な財を築くことも出来るのだ。何しろ、決まっただけの物を官に納めさえすれば、後は、すべて、自分の懐《ふところ》に入れることが出来る。そう言う制度になってしまっていたのだから、搾取に歯止めは掛からない。

 そんな時、武蔵守を拝《はい》しながら、やれ、体の調子が優れぬだの、今年は方位が悪いだのと言って、なかなか赴任しない者が居ると言う話を耳にした満仲は、上手く工作して、まんまと、武蔵権守の職を手に入れたのだ。
 青公家《あおくげ》であれば、鬼や東夷《あずまえびす》の住むと言われる亡幣の国などに赴任したく無いと思うのは、当時としては無理からぬこと。
 しかし、満仲は、播磨《はりま》や畿内諸国ほどの利は望めぬまでも、坂東は、言われるほど疲弊していないと言うことを知っていた。亡弊の国として、税の半分が免除されている上に、有力者達の内で、秘《ひそ》かに、新田開発が進められているのだ。
 満仲が武蔵権守として赴任して来たのには、そんな事情と思惑が有った。

「時を移してはなりませぬ」
 秋天丸が千方を急かせるように言った。
「うむ」
 千方が頷くと同時に、夜叉丸は、半弓と矢筒を拾い、崖に向かって走り出していた。
 半弓と矢筒を投げ落とすと、血塗られた抜き身を引っ提げたまま、細い雑木を左手で掴み、そのまま崖に沿って体を滑らせる。降りると言うよりは、草や雑木を掴んだり、石や岩を軽く蹴ったりして減速しながら滑り落ちて行く。千方が続き、秋天丸が続いた。

 あっと言う間に、下の沢に降りると、ことさらに退屈そうな表情を浮かべた朝鳥《あさどり》が迎えた。
「おお、阿修羅の殿のお帰りですな。遅いので、成仏《じょうぶつ》してしまわれたかと、心配致しましたぞ」
「ふん、相も変わらず、口の減らぬ年寄よな」
 手頃に束ねた藁束《わらたば》と端布《はぬの》を朝鳥から受け取ると、千方は傍《かたわ》らに流れている谷川に入り、太刀を洗った。夜叉丸と秋天丸のふたりは、手で洗い直垂の袖で拭く。
 太刀を洗い終えると、三人は一旦岸に上がり、千方はそれを布で拭った後、鞘《さや》に納め、待っていた朝鳥に渡す。他のふたりは、そのまま小岩の上に置き、三人とも素っ裸になり、一斉に水の中に走り込んだ。河原遊びに来た童達《わらべたち》のように、水飛沫《みずしぶき》を上げ、頭から水を被《かぶ》る。気持ち良さそうに血と汗と泥に塗《まみ》れた体を洗いながら、夜叉丸の顔にさえ安堵の色が浮かんでいる。
『今日もまた、命を繋げた』
と言う感慨であろうか。

 昔、この者達と良くこんな風に水遊びをしたなと千方は思った。
 朝鳥から受け取った新たな乾いた端布で体を拭くと、千方は狩衣《かりぎぬ》に着替えた。
 血と汗と泥に塗れた直垂を、朝鳥が掘って置いた草陰の穴に手早く埋めると、さっぱりとした直垂に着替えた夜叉丸達は、千方が乗るのを待って馬に乗った。
「上におる馬は惜しゅう御座いますな」
と秋天丸が言った。
「欲をかくと碌《ろく》なことは無い」
 いつもの千方の答え方だ。
「左様《さよう》」
 朝鳥が千方の言葉を引き取る。
「では、我等はひと足先に参ります」
「裏道を抜けて、下野の郷へ参るか? 夜叉丸。長老に宜しくな」
「はっ。処で朝鳥殿。穴掘りで、腰に来てはおりませぬかな。お年ですから、余り無理はなさいますな」
 そうからかったのは秋天丸の方だ。
「何を抜かすか。汝《なれ》の墓穴も掘るつもりでおったわ。それは、又のことになったようじゃがな」
「では、御免」
 夜叉丸が馬の腹を蹴って駆けだした。秋天丸も千方の方に頭を下げて、後を追う。

 千方と朝鳥、それに、朝鳥の乗る馬の鞍《くら》に手綱を結んだ、振り分け荷物を載せたもう一頭の馬は、ゆっくりと街道に向って下って行く。

 少し陽《ひ》も落ちた東海道を、残照を背に、のんびりと武蔵に向かう主従の姿は、どこぞに用足《ようた》しにでも行った帰りのような風情《ふぜい》だ。

小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である 青木 航 さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

拙作web 小説「藤原千方伝・坂東の風」のプロローグ部分です。
2019/09/13 23:11 青木 航



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