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現代小説/歴史小説

『夏の花』

佐々木雄太著



 朝の光は、湿り気を含んでいた。財布の中には、二千九百円しかなかった。僕は新聞配達のオートバイを飛ばしながら、粘りっこい朝の考えを広げ始めた。二百九十円のモーニング・セット、近所の書店で買う新刊の推理小説の文庫本、切れたシャンプーの詰め替え用。「シャンプーから」僕はオートバイを走らせながら、独り言を言った。朝のアルバイトを始めてから、二年経つ。所長の川田達彦に、最近やっと気に入られたし、我ながら良く頑張っていると思う。器用にサルビアの咲く街中や商店街を走っても、褒めてくれる人は一人もいない。長く伸びた髪を掻き揚げると、オートバイのエンジンを強めた。日が高かった。軽い嘔吐感を飲み下すと、「朝刊」と言って、新聞紙を、配って回る。
 遠くの方から、一台のオートバイに乗って走って来る、男の姿が見える。僕の友人の、美月健介だ。「みつきぃ」と、僕はオートバイを停めて言う。「おう、町田。今日はオナニーしたか。もう毛沢東の本は読んだのか?」と、美月が笑みを浮かべて言う。僕は美月の言葉を無視すると、オートバイを吹かした。美月がそのまま僕の追いかけて来る。

 サルビアの花が静かに震えている。江戸川新聞の配達所に着くと、大急ぎでポットに入った冷たい麦茶に、近寄った。美月が、湯飲みを台所から持って来た。「ああ、夏はこいつだ」美月が旨そうに喉を震わせながら、麦茶を飲む。僕は飲み終えた麦茶の湯飲みを冷水で一気に流した。「弁証法的唯物論って知っているか?」美月が八月と大きくマーキングされた、配達所のカレンダーを見ている。「俺は共産党に入党するぞ、共産党なら何処でも。中共に、キューバ共産党」美月の目の奥が静かに潤んで震えている。「秋になったら俺も考える」僕がそう言うと、美月がゆっくりと頷いた。

 夕暮れの喫茶店『花鳥』で、打ち合わせをした。街並みが黄昏れている。僕は静かにマッチに火を点けると、口元へと運んだ。「国中さんって知っている?」川田が右手で口元にシャーベットを運びながら言った。左手では、一回百円の占いゲームを触りながら、言っている。僕は小林秀雄の『モオツァルト』の文庫本に目を落とし、気のない返事をした。「俺さ、惚れちゃったかもしれない。駅前の商店街の『ルパン』っていう、玉のよく出るパチンコ屋で、一生懸命働いているんだよ。コーヒーサービスなんてしながらね」美月が涼しい音を立てて、コーヒースプーンを、溶けたシャーベットの縁に落とす。「ああ、うん」こうして一冊百円で売られている小林秀雄の文庫本を集めて、一体何になるのだろう。憐れな僕。美月が安物の時計の文字盤に目を落とし、大きくため息をついた。窓の外では陽炎に溶けた、街中が静かに揺らめいて、震えている。「そろそろ出よう」美月が言った。僕は頷いた。

 陽炎の中をゆらゆらと歩いた。駅前は、もうすぐそこである。パチンコ・ショップ『ルパン』の遊技場は、けばけばしい繁華街の最中にあった。「さあ、今日は出るかなっと」 
美月が国中さん目当てであるのに、パチンコの台をひねる真似をして、静かにもみ手をしている。僕は財布の中をのぞき込んだ。「一時間」僕は言う。「上等だ」美月はそう言って笑う。僕が今度ため息をつくと美月が笑った。僕らは歩き出す。


 国中さんはやはり居た。美月が言った通りにコーヒーサービスをしている。玉の出る台出ない台を、せわしく歩いていた。
 国中さんの瞳は黒の中に青だった。緊張したように瞳が左右に静かに泳いでいる。僕は急に煙草が欲しくなり、『ルパン』の外に出た。『ルパン』の外は夜の帳が落ちていた。先々に歩く人々の足先に、雨脚の予兆が振動している。僕は急に傘を忘れた事に気付くと、また『ルパン』に戻った。
 『ルパン』の中では、パチンコ席に座った美月と、国中さんが何か話し込んでいる。国中さんがコーヒーを床にこぼした。僕が近寄る時には、ボーイに、床が真っ白に磨かれていた。国中さんが何かちぎったメモ帳の欠片を美月に渡している。国中さんが息を飲んだ。美月がこちらに近寄る。美月が片手を挙げると、メモ帳の切れ端が握られていた。僕らは雨の店外へ出た。

 繁華街の街並みには、所々に光が明滅していた。僕らは明日の江戸川新聞の配達を思うと、急に倦怠を覚えた。美月は息を弾ませて、「やったぞ、電話番号」と興奮していた。「よく教えてくれたな、電話番号なんて」僕がそう冷やかすと、「俺という獣に」と美月がにやっと笑って言った。パチンコ玉の落ちる音がまだ響いている気がした。僕はまた髪を掻き揚げると目を細めた。「ルパン、本当は長く通っているんだ。昨日今日じゃない」
と美月が言った。「ああ、なんとなくそう思った」と僕が言った。美月の語尾が震えている。まだ興奮が残っているのだろう。僕は早く布団に潜り込みたかった。僕の汗が染み付いた一組の布団。僕は快活に街を歩き出した。美月が後を追いかけるようにして着いて来る。「今日は何か妙に良い日だった気がするな」美月がそう言う。僕は同調した。「明日からまた江戸川新聞の配達だぞ」僕がそう言うと美月がいたずらっぽく笑った。繁華街の光がまだ明滅している。僕らはそれらに背を向けて歩き出した。
 夏も終わりになると、サルビアを注意深く見るようになった。僕と美月は、いつものように、江戸川新聞の配達を済ませると、海浜公園で待った。待つ相手は、美月が呼び出した国中さんである。僕らは海浜公園の側でたわいもない雑談をした。「夏終わっちゃったなあ」「ああ、そうだ」僕は美月に気のない返事を返した。「今年の夏は町田と居れて楽しかった。俺たちもいつまでも一緒に居られるかは分からないけど」と美月が言う。「ああ、そうだな」と僕は言った。真っ青だった海の色が灰色に近い。サルビアの花はまだ咲いている。遠くから、息を弾ませた国中さんが近付いて来る。海が一度鳴った。僕らは大きく息を吐くと、国中さんの元へと近付いた。海浜公園のサルビアの花がまだ揺れている。

小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である 佐々木雄太 さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

手書きで原稿用紙に書いた後、パソコンに打ち直しました。
宜しく御願い申し上げます。
2019/09/09 08:53 佐々木雄太



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