歴史小説・現代小説の投稿サイト・ShortSTORY・ジャンル別にページが分かれています。

歴史小説・現代小説 投稿 サイト/短編・掌編・長編。歴史小説・現代小説の投稿

現代小説/歴史小説

『最終号』

田中老穣太著



 『最終号』 

 三月中旬の、暖かく晴れた午後だった。その小学校の五年生のクラスに一人、教室に残ってある作業をする男子児童がいた。彼は机を四つ合わせた上に一枚の模造紙を広げ、それに何色ものカラーマジックペンを使って絵を描いているのだった。
 
 男子は五年生から時間割りに加わる、校内の「全員クラブ」と呼ばれるクラス外活動で、進級したばかりの昨年の一学期の初めに新聞部を選んでそこへ入った。そして他の数人の部員と班を作り、彼等と一緒に毎月一号ずつ壁新聞を書き、割り当てられた場所の掲示板に貼り出す活動を一年間ずっと続けていた。彼がやっていたのはその最終号の製作なのであった。
 本当は、三学期も押し迫って来ると段々変則的な時間割りになるので、もうその頃には「全員クラブ」の部活動そのものが授業として時間割りに当てられなくなっていた。だから正式な活動としての壁新聞の製作は、二月末に作って掲示した分の号でとっくに終わっていたのである。しかし男子は、製作第一号の最初の四月分からずっと、紙面に自分で考えたキャラクターのコマ割り漫画を連載していた。そして壁新聞を貼り出すのは月一枚ずつの貼り出しで一年間だから、ひと月丸々夏休みになる八月を除いて全部で十一回分あると勝手に思い込んでいたので、最後に前後編の続き物を描いてやろうと考えていた彼は、すでにその前編の方を二月の第十号目に描いてしまっていたのだ。このままでは年度内の正規の部活動の内に話を完結させる事が出来ないと気付き、考えた挙げ句、自分の漫画だけを載せた最終三月号を自主的に作り、いつも壁新聞を貼っていた指定の場所の掲示板に、例え数日だけでも貼り出させてもらおうと学校に頼む事にした。それで新聞部活動の受け持ちの先生と自身のクラスの担任とに許可を貰い、製作場所に放課後の教室を借りて、一人残ってその作業を続けていたのであった。

 その日は、もうすでに学年末の午前中までの短縮授業の時期に入っていたので、学校での給食は終わっており、家から弁当も持って来ていなかった男子児童は、当然お昼御飯を食べていなかった。だが彼はそんな事を忘れるくらい、かなり夢中になって絵を描き込み続けた。やがて陽が傾き掛かり、校舎三階にあるそこの教室の中に、南側の窓のカーテン端の隙間から、薄く色の着いた西日が静かに入り込んで来た。その頃になってようやく彼は、本来なら絶対に怒られるはずの、紙面全てが漫画で埋め尽くされているという異例の学校壁新聞を描き終えた。だがそれで休む間も無くペンの描き込みでごわごわになったその一枚の模造紙をくるくると丸めると、それを丁寧に小脇に抱き、すぐに教室から出て行った。

 男子がたった一人で描いた最終号は、学校の部活動としての正式な掲示物ではないので、貼らなければならない場所など特に決まっていなかった。だが彼は、自分の描いた漫画を毎回楽しみに待っていてくれている愛読者が必ずいるはずだと信じていた。それならばその「愛読者達」が見逃してしまわない様に、この最終回も、是非とも今までと同じ場所に貼り出さなければならない、という、どこにも根拠の無い自負心から来る使命感を抱いていた。
 男子のクラスを出てすぐ隣にある二階の渡り廊下を真っ直ぐ北に進んでから、そのまま角を曲がって入って行った北校舎の二階には、向こう端までずっと一学年下の四年生の教室が並んでいた。新聞部で彼の所属する班がいつも壁新聞を貼り出していた掲示板は、その廊下の西端の昇降口の少し手前にあった。間に教室を挟んだ磨りガラス越しと、反対の窓から入って来る照り返しの外光との両側からの夕暮れの日射しに挟まれて、長い廊下全体が間接的に淡くぼやけた薄黄色い明るさに照らし出されていた。
 既に児童達が下校して静まり返っている隣の校舎の中を、少し興奮気味に急ぎ足で進んで来た男子は、その掲示板の前でようやく立ち止まった。
 所々剥げた緑色のゴム面には、彼を含めた製作班が作った公式には最終号である二月の壁新聞が、まだ取り外されずに貼られたままになっていた。本当は「全員クラブ」の活動としては、それも責任を持って自分達で剥がして回収しなければ仕事は最後まで完了していないのだが、彼にはある考えがあって、同じ班の他の部員には「僕が外して持って帰るから」と言ってわざと取りに行かずに、ずっとそこに貼りっ放しにしていたのだった。彼は小脇に抱えて来た壁新聞を開いて真っ直ぐに伸ばし、その先月号の上にぴったりと重なる様に合わせて、それを左手で押さえた。そして前に寄って爪先立ちになり、目一杯腕を伸ばした右手の指先で、上両端の角二箇所の画鋲だけを外し、そこだけを二枚重ねで留めようとした。背が低いのでそんな格好でも届くか届かないかのぎりぎりの高さだったが、額に汗を滲ませ、二の腕を軽く震わせながらも、何とか二枚重ねにして留め直す事が出来た。すると今度は、その場から二、三歩後ろに退いて紙面を俯瞰的に見たり、逆にぎりぎりまで近づいて所々の部分を凝視したりして、全体のバランスと細かい仕上がりとを交互に確かめた後、ようやく納得出来た様に満足気に独り頷いた。そこで胸ポケットの中から一本だけ持って来ていた太字書きのマジックペンを取り出して、「このうらにひとつまえのはなしがのっているよ」と下の余白の所に書き加えた。

 そうやって男子が中々掲示板の前から立ち去らないでいると、突然、そこの廊下沿いに並ぶ教室の引き戸の一つが突然開き掛ける音がした。彼はこんな所に学年の違う自分が一人で立っていると変に思われると感じ、すぐに斜め後ろの西側の昇降口の中へ入ってそこの蔭に身を隠した。しかし一体誰が出て来たのかが気になりすぐ横の内壁に張り付くと、その角縁からそっと向こうの様子を窺った。
 並んでいる内のちょうど真ん中の教室の、前の方の出入口から姿を現したのは、ランドセルを背負いスポーツバッグを片手に持った、下は短パンで上は背番号入り衿付き長袖の、全て黒地のユニフォームを着た女子児童だった。なぜか彼女は今までそこの中に一人で残っていたらしく、廊下に出た後、手に持っている教室の鍵で戸に施錠をしていた。そのまま鍵を戻しに渡り廊下のあるあちら側へ向かうのかと思いきや、意外にも男子の潜んでいる西側昇降口の方へ歩いて来たので、彼は思わず首を引っ込めて後ろの階段を振り返り、とっさに上に登ろうか下に降りようか選ぼうとした。しかし結局、彼女はそこまでは進んで来ず、どうやら途中で立ち止まっている様な気配がするので、彼は警戒しながらも廊下の様子を再び覗き込んだ。するとその先には、ついさっきまで彼がいた掲示板の前の場所に立ち、熱心にそれを見詰めている彼女の姿があった。
 どうやら四年生らしいその女子は、照り返しの光が斜め上から当たって薄桃色に輝いている横向きの全身を、すぐ近くに隠れている男子の正面にまともに晒す状態になっていた。
 休み時間や放課後などいつも外で遊んでいるからなのか、それとも元々地黒なのか、春先だというのに女子の横顔は少し浅黒かった。そして短めに切り揃えられた後ろ髪の襟足下で刈り上げられたうなじだけが青光りしていた。そんな容姿に加えて体付きも全体的に締まっていて俊敏そうな感じがする上、下級生なのに自分よりも十何センチかは上だと男子に気付かせるほど背も高そうに見えた。だから彼は彼女が、放課後、いつもここの学校の体育館を借りて練習している、「全員クラブ」とは違う外の本格的なスポーツクラブに所属するバレーボールの選手なのだと思った。
 そんな下級生の女子は、視線を正面の掲示板の下の側へ向かってゆっくりと動かしていたが、やがてそこから目を外すと、男子の潜んでいる方へ歩き出した。
 てっきり職員室へ鍵を戻しに向こうへ戻る物だとばかり考え、すっかり油断していた男子はその瞬間、頭が混乱した。でもここのすぐ下にある一階西端側の出口は体育館へ行く屋根付きの外通路と繋がっているので、どうやらそこから来たらしい彼女は、こちらの方の階段を使って又元の所へ戻って行くつもりなのかも知れない。とっさにそう判断した彼は、つい今し方一度考えた通りに後ろを振り向くと、迷わず左側の上り階段の方を踊り場の所まで昇った。
 男子がその内側の手摺の蔭に入るのとほぼ同じタイミングで四年生の女子は昇降口に入って来たが、彼女は今までそこに誰かがいた事など全く思いもしない様子で、昇降口内の四角いスペースを斜めに横切って右下の方の階段に向かい、上に潜んでいる彼には全く気付かずにそのまま下の方へと降りて行った。
 その時、上の踊り場から振り返って斜め下を覗いた男子の目には一瞬だが、女子の正面の顔が初めてはっきりと見えた。下階の側の南窓の磨りガラスを通って、西日の光が直接校舎内に入って底面から強く照らし出した為に、彼女が廊下に立っていた時よりももっと鮮明に、完全な黄金色となって視界に浮かび上がったからだ。運動部員の少女の、どことなく少年の様な端正な顔立ちは、彼の視界の中に一度だけ収まって、そしてすぐに消えてしまった。
 しばらくたった後、男子は下方を用心しつつそろそろと階段を降り、昇降口から又、元の二階の廊下へ戻った。そして再び掲示板の前に行って自分が一人で描いた壁新聞の漫画を改めて見詰め直した。するとみるみる内にその顔の表情に嬉しそうな笑みが自然と浮かび始めた。それから彼はその心の中の喜びを抑え切れずに、北校舎の其処から渡り廊下、南校舎の自分の教室までの、縦、横、縦の「コ」の字形のルートを、まるで小踊りする様な軽やかな足取りで興奮しながら帰って行った。

 そうして自分の教室へ戻って来た男子は、後ろ手に引き戸を静かに閉めると、途端に我慢していた喜びの感情を抑え切れなくなっていた。急に海老みたいに前屈みで中腰の体勢になり、膝下くらいまで頭を下げ、喉の奥から自分の腹の中だけに響かせる様にくぐもった雄叫びを上げた。そしてしばらくの間、並べられた席と席の間を縫って教室内を無意味にぐるぐるとあちこち歩き回った後、ようやく少し落ち着いたらしく、のぼせた頭を冷やそうと教室南端の窓際に寄って、内鍵を下ろしそこのガラス窓を横一杯に開け放った。途端に外の冷たい空気が放射状に流れ込んで上気した顔面に容赦無く当たり、彼は痛痒い様な心地良さを感じた。
 実は男子はほんのついさっきまで、来年度も「全員クラブ」で新聞部を続けようかどうしようか迷っていたのだ。部活動は六年生の年度初めには改めて好きなところへ入り直せるからだ。
 というのも、新聞部の活動というのは入る前に男子が思っていたのとは違って、何の取材もしていないのにその場で無理矢理でっち上げた様な当たり障りの無い記事を書かされてばかりだったし、本当に描きたい漫画はいくら班の他の部員たちに頼んでも毎号紙面の内のほんのわずかしかスペースをもらえていなかった。それに果たして自分の描いた物がどの程度読まれているのか、皆目見当が付かなかった為に、段々描く事に疑問を感じて始めていた。さらに最近では、もしかすると本当は誰も読んでくれていないのではないか、とごく時たまだが、まるで隙間風が吹く様に、ずっと保ち続けている例の誇大な自信さえ一瞬揺らぐ様な心境になる事さえあった。それに今回とうとう念願だった、一枚の紙面丸々全部に思う存分漫画を描くという体験をさせてもらえ一応満足する事が出来たのだから、もう今度の一年間は完全に絵だけで掲示板を飾れるイラスト部にでも移ろうか、などとも考えていた矢先だったのだ。
 しかし男子はつい今し方、自分の思っていた通り最低でも一人、しかもあんな格好の良い女子が自分の漫画のファンなのだという事が初めて分かった。
 表側を捲って裏の方を見なかったのは、恐らく前回の分はすでに読んでいて最早知っている証拠だろう。それほど熱心なファンがいるのならば、やはり新年度の四月からも新聞部で壁新聞を作って漫画を描き続けなければならない。
 と、心の中で独り言の様にそう思った彼は、南の本館校舎の向こうの南西の上空に浮かぶ淡い桃色の黄昏の光に春の訪れを感じながら、改めてそう決心した。
 春の初めの夕暮れの、未だ冷たい外風が当たりっ放しになるのに身を任せ、新聞部員の五年生の少年は、その外気の流れの中にごく僅かだが春特有の香りの強い粒子が微かに含まれているのを感じて、来年度への期待に胸を膨らませた。そして白い本館校舎の屋上向こうに大きく半円状にぼんやりと暮れて行く光を割りと長い間とても幸福な気分で、壁新聞を描いていた机の上を片付けるのも忘れ、いつまでも飽きずに見上げていたのだった。


 学区内にあるバレーボールのチームに所属する四年生の女子は、放課後の練習でそれまでずっと学校の体育館の中に居た。彼女はランドセルやスポーツバッグなどを教室に置いたままだったので、校舎一階の出入口が閉まる前までに自分の荷物を取って来ようと思った。それで一度練習を抜けて自分のクラスに戻り、荷物を持って再び体育館へ向かっている途中の帰りがけの廊下で、先週行われた市内バレーボール春期大会の地区予選の結果報告を見つけて、しばらくの間ずっとそれを読んでいた。だが同じ掲示板の横に貼られていた派手な模造紙の方は全く見ておらず、本当に一瞥だに呉れてはいなかったのだ。
 しかし、それによって、その場を物陰からこっそりと盗み見ていた他の誰かが何かしらの大きな誤解をしたとしても、この女子児童には何ら責任のない話だった。正に「知らぬが仏」なのであった。

 〜終り〜

小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である 田中老穣太 さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

小学生の頃の思い出を元にした作品ですが、冒頭の状況以外はほぼ創作です。
2019/03/18 09:30 田中老穣太



このページの先頭に戻る ↑ 

はじめての方へ

小説投稿サイト・ShortSTORY

小説投稿サイトとは?

ミステリー小説・SF小説・ホラー小説の投稿。短編・掌編・長編オンライン小説/ネット小説投稿サイト『ShortSTORY』、ミステリー小説・SF小説・ホラー小説の投稿が無料。感想やコミュニティでの意見交換など

坂口安吾のすべて
チェンマイのレンタカー
レンタルバイク【チェンマイ】
チェンマイ・焼肉・日本式
チェンマイ・居酒屋・日本料理・和食・ガガガ咲か場