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現代小説/歴史小説

『ワンルームと社会の窓』

近道ラクダ著



今日は特別な日だ。優香が帰って来る。僕はコーヒーを一口飲み、PCに目を向けた。画面にはアルバイトの求人サイトがいつも通り表示されている。
清掃、警備員、イベントスタッフ、コンビニ、カフェ、引っ越し、家庭教師。
目に溢れんばかりの求人情報がなだれ込んできて、当然のように目から零れ落ちていく。
「ああ、へえ、いいな、働いてみたいな」そう思う求人はある。だけど、どこかで一線を引いてしまう。これは僕には向いてない、大変すぎる、怖そう。

僕は先月からずっと、バイトを探したままだ。

コーヒーを一気に飲み干して、窓を見た。朝8時、学生たちの話し声が聞こえる。通学途中なのだろう。駅に近い立地というのは、社会を感じる。嫌いだ。

コーヒーカップを台所で濯いでいると、電車が発車する単調な機械音が耳に響いた。心臓にまで音が到達しそうな轟音だ。駅を使わない僕にとって、このアパートのメリットはデメリットに変わってしまう。

窓から顔を右へ突き出せば、駅のホームまで見える。物理的には、なんの大きな障壁もなく、社会はすぐそこにある。

朝8時、駅のホーム、そこはスーツの行列だ。適度な倦怠感と緊張感に満ちていて、彼らのネクタイの結び目は固い。なぜこんなにも見えすぎてしまうんだろう。視力がいいことは、必ずしも良いことではない。見たくないものまで見えてしまう。

2番ホームで電車を待つ高身長の彼は、おそらく年齢が僕と同じくらいだ。なんてこった。そう、皆、普通、20代後半になれば、自分の所属するコミュニティがあって、日々そこへ向かうものなのだ。「いやだなあ、ダリいなあ」なんて毎日言いながら、それなりに楽しんでいるし、きっと貯蓄も僕の数十倍あるんだろう。

「いってきます」なんて言って、家を出る彼らが、眩しい。太陽が駅舎に転がりすぎて、僕のような宇宙ゴミは窓を閉めざるを得ない。僕はただこうして、部屋で画面に向かうだけ。家事だけ最低限やって、あとはそれだけだ。足を動かしても、駅まで向かうことはない。せいぜいコンビニ、スーパー、本屋、電気屋。

優香は、こんな僕を許してはくれないだろう。

優香。文字通り、彼女の居たこの部屋は、優しい香りがする。僕なんかが半年も居座っていい場所じゃない。ハンモックだって、観葉植物だってある。PCだって、コーヒーカップだって、真っ白。3年前に建てられたアパートのため、壁や床も傷が少ない。それに、1DKで家賃は9万、近隣住民も清潔感のある人ばかりだ。

自分だけが、リズムに乗れてない。社会という他者貢献の輪の中に組み込まれていない。歯車になって、泣いて笑って、叱られて褒められて、よし頑張るぞ。それがない。微塵もない。ここにあるのは、乗りもしない電車の音と、自分以外に向けられた話し声と、時々襲ってくる、無音という名の残酷な爆音。

そして退屈と焦りと不安によって通常の1億倍高速で過ぎ行く時間。

「ただいま〜」
ほら、気付けば13時だ。時間は容赦しないし、揺れたりもしない。一定のリズムを刻んで流れ、受取り手に速さを委ねる。集中と緊張感、義務感、それらがないと、鈍感になって、世界に動体視力がついていけない。高速になって、光速になる。そう見える。

20歳の僕なら、8時から13時までの5時間を、どれほど有意義に使えたのだろう。時間という金より尊いものを、浪費・消費せずに、資源に変えていたはずだ。

優香が歩いてくる。不思議と、焦りはない。不安もない。もちろん、退屈ではない。いまここにあるのはただ一つ、諦めだ。

木製の洒落たドアを静かに開けて、1M近くあるスーツケースと、1m58cmのキャリアウーマンが、部屋にそっと入ってきた。いや、帰ってきた。ここは優香の場所だ。僕は、コンビニなどからこの部屋に入るとき、「ただいま」とは言えない。

「おかえり」

優香は、美人というわけではない。顔は丸く、幼児体系で、足は太く短い。しかし、笑顔を浮かべた時にできる目尻のしわや口元のえくぼが人を惹きつける。イノセントで、透明で、ホラー映画など彼女の世界には存在しないかのような雰囲気を持っている。僕は優香が好きだ。きっと、皆好きだ。

「意外と片付いてんじゃん」と、例のごとく笑顔を僕に照射した。
「意外とってなんだよ」
「だってあたしがいなくなったら片付けなくなりそうじゃん」
「そんなことないよ」
「そっか」と、優香は重そうに、スーツケースを部屋の隅に置いた。
優香が置いたスーツケースは、僕の実家にあるそれのように高価なものだ、と確信できる程の光沢と、重量感と、自信過剰なロゴを有している。見慣れてはいるが、あらためて感心する。かたや僕が学生のころ自分で買ったスーツケースは、5千円にも満たない中古品だ。

それと、優香が今着ているスーツだって、きっと高価な逸品だ。幼児体系を少しでも隠すような上手い造りになっている。量販店で買っていないのだろう。かたや僕は自分の金でスーツを買ったことがない。

「ま、とにかく、出張お疲れ様」

「ありがと、康太」

優香は僕の職について詳しく聞かず、僕の唇を塞いだ。彼女は疲れている時こそ、旺盛になる。知っていた。昼はカーテンを閉めようと否応なく室内が明るいため、彼女の身体は官能的な陰影を伴っていた。

しかし、交わる時間すら僕には一瞬に感じられてしまった。1か月半ぶりにしたのにもかかわらず、だ。一年前、付き合い始め、彼女の滑らかなうなじを見た時、その数秒は「永遠」のようだった。名画に見惚れるように、彼女の身体に見入っていた。

それにひきかえ、今の僕の感受性は、ひどい。

彼女の寝息は一定のリズムを刻んでいて、このリズムも、僕が大学院を中退するつい最近までは、生命の神秘やら安心感やらを感じるものだった。

僕は彼女の柔らかい手を振りほどき、ベッドから一人起き上がった。ギシ、という音は出なかった。高級なシングルベッドだからだ。ピンクのスリッパを履いて、窓を覗いた。

おそらく今は16時前後で、もう帰宅する学生やらサラリーマンやらが駅のホームに蔓延っていた。社会は回り続けている。

窓を離れ、洗面台へ行った。蛇口から水を出すと、シャワー設定になっていて、思いの外大きな音が出た。でも彼女は起きない。

水を飲む、ということは、ほんの少しでも自分が清くなった気がするから好きだ。顔を洗う、ということもまた同じ。

コップを置き、タオルで顔を拭く。タオルは彼女の匂いではなく、もはや僕の匂いが染みついてた。目の前の鏡で自分の顔を見ると、口元がだらしなかった。口は少し開いたまま、への字を描いていた。昔は固く閉じて一文字になっていたはず。

ベッドに戻る気には全くなれず、彼女が北欧家具専門店で買ってきた椅子、いや、「ダイニングチェアー」なるものに座った。背の高いスタイリッシュな「チェアー」だ。

ダイニングチェアー。ダイニングチェアー。ダイニングチェアー。

彼女が自分の金で手に入れた、ダイニングチェアー。この場所は彼女が自分の金で手に入れたルームであり、ホームだ。

羨ましい。情けない。

「ああ」

いつから彼女の生活に嫉妬するようになったのだろう。それは、おそらく、社会に対して僕があまりに巨大な劣等感を抱えるようになった時からだ。では、それはいつだ。

大学院をあまりに早く辞めた時、3か月前か。博士論文に行き詰って、酔った勢いでデータを消去した、3か月半前か。いや、教授に「才能ない」と一蹴された、4か月前か。

はたまた、2か月前、彼女に慰められて、「とりあえず何か始めてみようよ」と求人サイトから印刷してきた≪白崎沢総合研究所事務員募集≫のA4紙を見た時からか。

分からない。いや、それらのことが重層的に積み重なって、ここ何日かで劣等の重力が重くのしかかってきたのか。それとも今?

ただ、嫉妬に関わらず、ここ最近の過去を振り返ってみて、一つ言えることがある。それは、過去自信をもって関わってきた分野には、もう触れたくもない、ということだ。教授の言う通り、僕は「才能ない」ようだから。夢を追いかける仕事には、もう絶対に就こうとは思わない。

幼少期から好きだった小動物の観察も、高校でハマってたギターも、学部から院までずっとしてきたカオス理論の研究も、全て、自己満足。楽しいけど、それはお金を得て食っていけるほど頑張ってきたものではない。頑張れるほどの情熱もない。他者、社会のためにしてきたことじゃない。

だからこそ、僕はさらりと、そよ風が通り過ぎるように、当然のように大学院を辞めた。金を僕に投げ入れ続けてくれた親には、まだ何も伝えていない。研究室から推薦で大企業に就職すると期待していた両親は、今の僕を見て、どう思うのだろう。顔を見せることは、到底できない。

仕事の根底の価値観にもっと早く気づいていれば、自分のこの好奇心だけの頭を、食いとめられたのかもしれない。裕福な環境にずっと居座ったまま、価値観が一切裕福にならない僕を、食いとめることができたのかもしれない。

裕福で、キャリアを積んできた、うちの親も、優香も、金を得る仕組みの根っこに気付いていた。そして「万事OK、君たちの仲間さ」と振る舞っていた僕は、全然OKじゃなかった。
根っこから間違っていた。

ひとり、自分の世界で夢を追ったって、金は発生しない。せめて誰かと共に、妥協や衝突もある、共通の夢を見なければ。もしくは、夢を見ずに、割り切らねば。

世の中をなめ腐っていた、というより、はき違えていた。

椅子から立ち上がり、シングルベッドを見下ろした。優香の肌は滑らかで、透明に近づいてしまうほど色白なのに、それは一切不健康を感じさせない。人を思いやって、人のために体を燃やすことができる人間が持つ、内側からの健康を持っている。表面が美しくなくたって、内側が「人間」としてまっとうで美しければ、それは滲み出るものだ。

「優香、おまえはすごいよ」
頭を撫でるのではなく、跪いて手の甲にキスをした。手はすこしこわばっていて、荒れていた。紙で切ったような傷もある。一方、僕の手は無傷で、優香のそれよりずっと女性的だ。女性よりずっと女性的で、誰よりもずっと子供だ。

「お仕事、見つかるといいね」
優香は目を瞑ったままだ。それは寝言で言っているのか。それとも僕に気を使っているのか。しかし、どちらにしても、僕が一か月半も家で燻っていたことは、お見通しのようだ。こういうところも、社会を渡り歩いたゆえのスキルなのだろうか。それとも愛ゆえに、か。

「うん」と頷くことしかできない。僕にはできる選択肢の数が少なすぎる。何においても。
「難しく考えすぎないでね」
優香は横になったまま、僕の手をさすり、その後、強く握った。心強い。芯が太い。
「康太が思ってるより、全部、全部、単純なんだよ、きっと」
優香の目は薄く開かれていて、薄く笑みを浮かべている。

「ああ、そうかもな」
本当に、そうかもしれない。
「はじめは何だってみんな、似合わないもんだよ。何でもいいから、やってみよう?」
2か月前に同じことを言われた気がする。でも今はそのときより、いくらかその言葉を肯定的に受け取ることができるようになった。そんな気がする。

「うん」と僕は頷いた。
「よかった。私も協力するからね」
「うん、ありがとう」
心に釘を打ち付けるように悩みぬいていたこの1か月半は、意味があったのかもしれない。いや、でも、やはり何もなかったのかもしれない。ただ浪費していただけなのかもしれない。分からない。

電車の音が聞こえた。相変わらず轟音だ。でも、轟音なだけだ。

小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である 近道ラクダ さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

情けなさと無気力に溺れて
2018/08/27 15:41 近道ラクダ



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