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現代小説/歴史小説

『羽葉鳥』

あえか著



 あまり着ないスーツのせいか、久々に自分でつけたネクタイがきつすぎるせいか、首が絞められて、息ができなくなりそうな感じがする。ヤマトが首を仰ぎ、ボツボツと降る雨を浴びながら、足掻くように空気を吸った。
 数日前、娘が死んだ。正確に言うと、娘の羽葉鳥が自殺した。遺書の一封も残してくれなかった。ヤマトにとって、この世で亡くなった妻ほど大切な人が理由もわからないまま、自分を残して亡くなったことはどうしても受け入れられないほどの苦痛だった。
「理由がわからなくもないけどな…」
 自分の声は思ったより穏やかだということに面白いだと思い、ヤマトの口元に人にはわかりにくい微笑みをたたえた。
 羽葉鳥に見られた。あの日、ヤマトは娘が部活で遅くなると知って、本屋で知り合った女の人と夕食を済んで、一緒に家に帰ってしまった。やはりホテルを探すとの助言を無視し、ヤマトは女の人といるとこは、帰宅したばかりの娘に見られてしまった。
「何だ、帰りが遅くなるんじゃなかったのか。」
「学校で用事を早めに済ませておいたの。お父さん、ごはんまだかなって、」
 娘の顔が見られないけど、いつもより硬い音声から、娘の表情も大体想像がつく。
「あの、お父さん、さっきの人って…」
「子供に関係ないだろう。」
 罪悪感が胸から溢れてきて、つい娘を怒鳴って、何の罪もない娘に怒って、びっくりさせてしまった。
 娘の羽葉鳥は高校三年生に上がってでも、父親と毎日食事しているような大人しい子で、家事も手馴れない父親の代わりにやってくれて、勉強もできて、聡明で優れている子だった。
 そんな娘さえいれば、妻もいらないんじゃないのかと、会社の同僚はよくヤマトをそう揶揄っている。そう言えば、毎回この話をすると、娘はいつも嬉しそうで笑っていた。
 急に、娘の顔が見たくなったなぁと、ヤマトが残念そうに嘆いた。棺の中で眠っている娘がまるでいつでも目を覚ますように見えた。土の中で葬る前にもう少し眺めておけばよかった。娘の顔、忘れてしまうかもしれない。妻にそっくりのあの顔、自分に似てもしないあの顔、忘れてしまうかもしれない。そうしたら、
「そうしたら…」
 まるで今に初めて小雨の冷たさを感じたように、ヤマトの体が冷えさにぞっとした。
「そうしたら、緋色の顔も思い出せなくなる。」
思わずにつぶやいている名前は、いとおしい妻の名前だった。
 羽葉鳥が自殺したということは、一瞬で会社中駆け巡った。鬼の上司でさえ、気持ちを整えてから来いと珍しく優しい命令を配った。その割に、ヤマトはほかの人より、そして、自分が思っているより冷静だった。娘が死んだということを知った時、驚いているのは当然だったが、それ以外の感情は心から湧いてこなかった。ただ、自分で住んでいる、もうすぐ潰れそうとしている古くて小さなアパートを自殺の場所として選んだことに、娘らしいなと思った。
もしかして、高校卒業してからすぐ家と関係を絶った息子、蒼雁の方が、リアクションがよっほど激しいかもしれない。妹に関心を持ちつつのはわかるが、息子の怒涛のような質問と父親に対する嫌悪から見れば、あれは悲しいというより、止められぬ怒りのほうが適切かもしれない。
 ヤマトは息子の対応方は分からない。自分から接しようとしても、すぐとげとげした言葉を使い、距離を保つようにする。だから今まで、ずっと娘が二人の間の伝言者のような存在を担当していた。もう、これから息子と話すことでさえできなくなるかもしれないと思うと、自分がやはりとんでもない失敗親だという現実に時間したヤマトはため息をついて、娘の部屋に入り込んだ。
 娘の部屋には若い女性がよく使う香水の香りもせず、化粧品の特独な匂いもしていない。リップの一本や二本を持ち歩き始めたのもつい最近のことだ。清楚な顔が整っている娘は飾りなどいらないと、ヤマトが愚図愚図言ってたら、娘がいつも頬をふっくらして、
「でも、お父さんが昔母がつけたリップ褒めてたんでしょ。」と小さい声で言い返す。
 娘は優しい子だったなぁと、ヤマトが本棚から書類を下ろしながらふっとそう思った。父親がろくに片付けも掃除もできないと知ってて、娘の部屋はまるで年末の掃除を終わったばかりのように埃も残さず片付いてある。でも、
「せめて、この子のにおいがついてる何かを父にも残してくれたら...」
 着替えも、気にっていた飾りも、好みのぬいぐるみも全部捨てておいたのは、きっと、亡くなった母を裏切ったヤマトを許せない娘の仕返しだ。それで、ヤマトは涙ですら出られなかった。告別式で、息子が大声で叫んだ言葉が耳元で浮かんだ。
「この人殺し。」
 嫌悪な異物を見るように、蒼雁の瞳の中には憎しみと苦しみしかなかった。彼から見れば、父親はいとおしい妹を殺した殺人犯も等しいのかもしれない。なんだかんだで考えながら、ヤマトは引き出しを引っ張って、娘の箪笥を覗いた。予想したと違って、重荷ですら感じない引き出しの中に、あるものがしまっておいた。
「これは、テープ。」
 もう21世紀だというのに、娘はmp3も携帯も持たず、パソコンもあんまり使わないがテープだけにはまっていた。
「黒いフィルムで人へのメッセージが載せられるのはロマンチックだと思わない。」
 そう言って、娘は自分の部屋にもプレイヤーを置いてあった。使ったことはないが、放送機を見て、娘を思うのも、残りの人生も悪くないと感じる。
 どうしても引っかかるテープのメモ欄には、お父さんへに書いてある。これは、娘の遺言なのか、自分への責め言葉なのかと、ヤマトは期待と恐れを抱きながら、プレイヤーのボタンを押した。
「お父さん、このテープを見つかった時は、たぶん、私の部屋を整理しておいたんでしょう。それは、すっこく偉いね。」
 娘の笑い声を聞くのが、ほんの一週間ぶりなのに、懐かしい気がする。今まで何度も夢の中に聞いてきた声が、とくにリアルと感じる。
「私は、このテープを残してた理由は、お父さんだけに、私が自殺してた本当の原因を告ぐためです。聞きたくもないかもしれないけれど、チャンと、聞いてからテープを捨てて大丈夫。」
 そこで、ヤマトはこの前何回も頭の中に浮かぶ考えが思いついた。それは、娘は実は誰かの手によって殺されたということ。なのに、次の娘言葉はあっさりヤマトが少し手も自分の罪を経るために思いついた妄想を破った。
「私は、自殺することにした。いじめられることもなく、悲しいことがあったのでもなく、ただ、その日死ぬことにした。」
ほんの少しの止まりは、きっと娘が癖で唇を舐めたのだろうかと、ヤマトは思った。
「話せば、長くなるから、私は、これ以外にも、テープを残しておいた。二つ目のテープは、嵐っていう人のもとにある。」
 聞いたことのない名前が飛び込んで、ヤマトは嫌な予感しかいない。それを読んだかのように、娘の声には笑って言うにも聞こえる。
「謝っておくけど、嵐は、私の彼氏です。」
 テープを録音しているときの、娘のデビルみたいな笑顔が目の前に浮かぶ。

II
「その年頃の女の子の彼氏は、みんないつの間にかできちゃうもんよ。」
 そんな風に同僚の人に言われた気がするが、今頭の中はそれ所ではない。
 驚いていないといえばきっとうそになる。だが今一番重要なのは、娘が言った彼氏の正体だ。
「嵐って言ったなぁ…でも本当に、誰なんだろう。」
前にも娘からクラスの連絡帳をもらったけれど、記憶によれば、嵐という名の子はいなかった。それに、娘のような繊細な子は、どう考えても野暮な高校男子と絡めるわけがないと、ヤマトは心のどこかでそう言う確信を持っている。
 娘はいつも遅れずに五時に家につき、夕飯を作る。それ以外にも滅多に外出することはない。出ていくとしても、事前にヤマトに報告するような大人しい子だから、彼氏ができたことなんて、今まで考えもしなかったのだろう。
 「そう言えば…」
 ふっと、頭の中に一ヶ所だけ思い当たる場所を思いついた。娘はよく本を読む。しかも大量本を買うのも趣味の一つ。
「本屋か…そういう展開もなかなかロマンチックだなぁ。」
 ヤマトは呟きながら、書斎へ向かう。プレイヤーから取り出したテープを大事そうに胸元のポケットにしまった。その時の胸元の感じ、一瞬だったが確かに心臓に刺さるような不快感があった。
「これが、子供を手放せない親ってやつか…」
 皮肉なもので、娘がだんだん妻みたいな女の子を成長してきたころは、父としてはうれしいと思うこともあった。
 翌日、書斎で見つかった本に書いてある本屋へ向かう途中、また、糸のように細い雨が降ってきた。娘が一番好きなのは晴れの日だった。ヤマトもまた、娘なら、明るくて居心地のよい日なたが娘に似合うと思う。。
「まるで、娘に太陽を持っていかれたようだなぁ。」
 着いた先は、看板もかかっていない小さな本屋、“あの日”だ。名前にしてはおかしいけど、中で静かに書物を探している人も数人いた。見たところ、様々な本と集めているのではなく、小説や心理方面の本ばかり並べている店のようだ。
「あの、すみません、」
 レジの代わりに、何年も使っている小さな机の前で、ヤマトはだいぶ年を取って、店主らしき人物に話かけた。
「あの、おやじさん、ここには、嵐という名の子は、えっと、バイトとかしています、でしょうか。」
 自分のやったことはまるで道端でインタビューをしている売れない芸人だと気づき、ヤマトの声はだんだん小さくなった。昔の自分であれば、こんなことは死んでもやらないのかもしれないが、娘の顔が浮かぶと、また自分らしくないことをやり続ける勇気が出た。
「嵐君の知り合いかね。」
「ええ、まぁ…」
「少々お待ち。」
 机の後ろのドアへ向かって、年寄りの店主は少し枯れた声で嵐と何度も呼んだ。「はい、何ですか、店主さん。」
 扉を開けて、歩き出したのは、体も腕も細く、背の高い男の子だった。眼鏡をかけて、猫背で、弱々しい子だけれど、黒曜石みたいな目が大きくて、やさしい光がたまっているように見える。
「すみません、あなたは…」
 男にしては高く聞こえる声は、癖かほんとに見知らぬ人が怖いのか震えている。
「いや、その…嵐、君だね。俺は、ヤマトといってね、その…」
 羽葉鳥の名前を出す前に、嵐の顔が一瞬変わったに見える。
「そうですか、あの子の、父親ですよね。」
 そこで、自分がまた正解に近づいた気がした。
「ヤマトさん、立ち話も何なんですから、うち、近いので、一緒に来てもらえませんか、その…」
 まるで泣きそうな顔をして、嵐が呟いた。
「羽葉鳥のテープが、うちにあります。」
「近いと言って、本屋の上の階でレンタルしてるたなんで…」
「はい、その…すみません。」
「いやいや、俺に向かって、謝罪だなんで…」
 ヤマトは困った顔して笑った。この子は少し暗い性格だけれど、悪い子ではないのは確かだと感じた。階段を上って、三階の隅にある小さなスペースに入ると、ヤマトは目の前の散らかり具合に驚いた。
「その…すみません、うち、羽葉鳥しか来なくて、彼女が…その…なくなってから、来客もなくなりました。」
 握りしめた嵐のこぶしが震えて、歯をかみしめて、絞り出す言葉ですら痛く聞こえる。
「いいや、謝るな。娘が、世話になったなぁ…本当、」
 ヤマトにはわかる、その心がひねりつぶされるような痛さが。
「おまえにも、つらい思いをさせちゃったな。」
 羽葉鳥は愛されていることも、ほんのわずかな嵐の仕草で分かってしまった。「これじゃ、父親が娘の彼氏に会ってぶん殴る定番のシーンもできなくなったな。」
 少しだが、嵐は少し笑顔を見せた。
 家具もない部屋で、ヤマトは床に座った。大学生ぐらいの年で、バイトをしている。嵐の生活もそんなに余裕はないのだろうと悟った。
「これです。羽葉鳥が、僕に渡したもの。」
 お茶とともに、ヤマトの前に持ってきたのは、前にも見たテープだ。
「娘は、なんと…」
「うちの父さんが来ちゃったら、私の代わりにあげといてねって、」
 光をまぶしく感じたように、嵐は目を細めて、眼鏡をはずした。
「ぼくは、あのときですら、羽葉鳥のことが理解できなかった。もう、最後の最後だったっていうのに…」
「それは、お前のせいじゃ…」
「僕のせいに決まっているじゃないですか。だって…」
 ポロポロと、嵐の大きな目から、涙がわいてきた。
「僕は、最後まで、羽葉鳥と一緒にいられる理由がわからなかったのです。」「それは…」
「羽葉鳥は、僕のこと、好きではなかったんですよ、ヤマトさん。」
返す言葉は一つもなかった。
ヤマトにとって、今日知り合ったばかりの娘の彼氏に対して、どう慰めればいいのかも、なにをいえばいいのかもわからないのだ。
「どういうことだ。」
 ただ、問うことしかできなかった。
「君から見て、娘、羽葉鳥はどんな子だった。」
 知らなかった娘を、少しでも、もっとわかりたくて、ヤマトは声を上げて聞いてみた。もっとわかれば、娘が、死んだ理由、死ななければいけなかった理由がわかるのかもしれない。
「あの子とは、本屋で知り合ったのです。その日、僕、寝ぐせで髪がぐっちゃぐちゃで、あの子に笑われたんのですよ。」
嵐は窓から外を覗いて、「羽葉鳥は、雨の日になると、うちの本屋へやってきて、暇つぶしに本を読んでいて、偶然、僕の好きな作家の新作を読んでいるとこを見て、話しかけてみたら…」
 目をつぶって、嵐は嘆くように言った。
「とはいえ彼女、羽葉鳥は、僕を見ているわけではありません。悪い子って意味ではなくて、ただ、その、たぶん、僕は彼女の最愛の人間ではないってことです。」
「そう、ですか。」
「でも、羽葉鳥と過ごした日々は、たぶん、この役立たずの僕の人生の中で一番楽しい時間だと思います。笑っている羽葉鳥を見ていると、笑って僕にいろいろなことを教えてくれたあの子を見ていると、この人生もそんなに悪くないと思っていました。」
 ああ、この子も同じだ。体の中で、大事な一部が、羽葉鳥がいなくなるとともに消えてしまったと、ヤマトが何となく感じた。
「娘を愛してくれたんだね。」
「僕は、羽葉鳥がいなければ、とっくにあの受験がうまくいかなかった あの冬に自殺していたのかもしれません。でも、羽葉鳥は、僕がいなくても、遠くへ行ってしまった。」
 ヤマトは、一気に茶碗の中、冷めてしまったお茶を飲んだ。
「そういえば、よかったら、嵐君んちのプレーヤを借りれるかな。」
きっと、自分の娘であれば、テープの中にも何か、彼氏に残した言葉があるはずだと、ヤマトは信じた。
「一緒に、娘のテープを聞いてくれないか。」
 祖父が残した古物だと言って、嵐が引き出しの底からプレーヤを出した。雑音が少し多いが、娘の声はやけに聞こえる。
「お父さん、よく私の彼氏を探しただしたね。でも、てっけんはだめだよ。嵐、ヒョロヒョロだから、死んじゃうかもね」
 笑っているように聞こえる娘の声で、嵐は声も出さずに、泣いてしまった。
「まずは、嵐に伝いたいことがあってね。その、謝罪とも言える。」
急に厳しくなった娘の声が、震えているように聞き留めたのは、錯覚か事実か、おそらく嵐しかわからないだろう。
「嵐は、あまりにも優しい人だから、私は悪いことしちゃった。嵐のことを、愛してるわけではないのに、また、彼女としてそばにいちゃってごめんね。でも、その時、ほんとに、嵐でよかった。覚えているの、その…」
 まるであの日を思い出しているみたいで、娘の声が柔らかくなった。
「雨の日は嫌いだからね。いやなことは頭を塞いじゃうんだもの。だから本屋で本でも読もうと思ってるとね、嵐がウキウキした顔で私に話しかけたの。その作家の名文、雨の雫は悲しみのようにこころに笑顔を表す力を注ぐって知ってますかって、言ったとき、まるで、私が雨が嫌いな理由が悟ったように、あんなタイミングで、あんなことを言われてしまった。」
 娘はきっと、録音しているときは笑っているのだろうと、ヤマトは思った。「ナンパのセリフとして最低だよ。でも、きっと嵐がいるから、私はもう雨の日に泣かなくなったと思う。だから、嵐は、今度はきっと幸せになってね。嵐は、私よりいい子のほうがふさわしいよ。」
「羽葉鳥…」
 呟いた名前、それはもう、答えてくれる人がいなかった。
「嵐のことは好きよ。一番じゃないけど、好きでいさせてね。」
 数秒立って、娘は息を吸って、「これから、お父さんになんだけど、些細なことだけど、お父さんは、私がいなくなってから、どんな生活をしてた。野菜もちゃんと食べてた。お父さんのことは、嵐が一人で暮らせるかどうかぐらい心配だよ。」
 すねているみたいな声、なんて娘らしいだろうと、ヤマトはつい笑った。
「それは一番気にかかることだから、嵐も、もしできれば、お父さんを見張っててね。馬鹿だから。」
「容赦ないね。」
「羽葉鳥らしいです。」
 嵐は泣きながら、ほほ笑んだ。
「それと、私が自殺した理由についてなんだけど、次のテープは、兄さん、蒼雁のどころにあるの。きっと、お父さんは嫌だと思うけれど、兄さんとちゃんと話せない限り、何も始まらないと思う。だから、次は兄さんを探してね。」
 テープがそこで終わった。ヤマトは、それを嵐に残した。
「ほんとにいいんですか。娘さんの、遺言なのに…」
「娘もきっと、おまえにもっていてほしいと思うんだ。それに、俺は蒼雁に会いに行かないと…」
「息子さんの…」
「ああ。」
 ヤマトは困った顔して、気を張っていて笑った。
「俺たち、もう何年も会話できてないからなぁ…会わないと何も始まらないのはほんとのことかもしれんな。」
 だから、会わなければと、ヤマトは自分にそう言い聞かせた。

III
 ここ数日の雨は、なかなかやまない。濡れている町で歩いていると、気持ちも悪くなってしまう。
「帰れ。」
 久しぶりに息子のアパートへたずねたら、挨拶もせず、会話も出せず、息子におっばらわれてしまった。
「二人そっくりだから、仕方ないか。」
 娘が、妻に似ているように、息子も自分の若き頃にそっくりだ。自分ですら見ていられないのだから、大嫌いな顔に瓜二つの息子は、ヤマトはなおさら、どうしても好きにはいられない。そして、きっと息子もそれに気づいていたはず。だから早々に家を出て、父親を見られないように、父親に見せないようにした。
 蒼雁と羽葉鳥にとって、ヤマトはきっといい父とは言えないだろう。家事もできず、子供ともあまり遊んだりせず、世間から見てもなかなかお父さん合格とは言えない。でも、そんなヤマトには緋色がいた。愛おしい妻であり、親密な友であり、そして、この世で唯一の理解者である緋色と結婚ができると分かった時、何回も夢ではないかと、緋色や自分の両親に確かめた。
「そういえば、あの時よくあいつにバカって笑われたなぁ…」
緋色から見れば、ヤマトはいつまでも何もできない、不器用な男だ。だからこそ、緋色はいつもやさしく笑っているままで、この鈍くて、格好悪い男の前でかっこつけたがっただろう。
「あのときでさえ…」
 嘆くように、ヤマトは子供を一人で育てるようになってからやめた煙草にライターで火をともした。
 大した病気でもなかった。ただの風邪だと、緋色自らもそう言ってくれた。携帯の向こうに、自分がうっかりと風邪ひいちゃったと呟いた緋色がいた。そして、なぜかおかしいと思って、じゃ、今夜何かいいものとコメで、かゆでも作ってやろうと応じたヤマトもいた。
 でも、その電話を最後に、ヤマトは二度と緋色の声を聴けなくなった。病気が悪化し、夜が明ける前に、緋色は病室で一人ぽっちで行ってしまった。子供はまだ家で待っているからと、緋色はどうしてもヤマトを病院に生かせなかった。もしかして、あの時の緋色はもう自分の死を予知し、ヤマトに自分の苦しい顔を見せないよう決意したのかもしれない。
 あれから、ヤマトの一部は緋色とともにあの世へ持っていかれたと自分にもうすうす気づいている。そして、残った一部は、緋色の死を信じられなくて、緋色がいなくなった事実に向き合えなくて、羽葉鳥だけを見るようになったのかもしれない。毎日のように会社へ行って、グタグタになって家へ戻ったら、ますます緋色にそっくりな羽葉鳥が家で待っていた。それはまるで、緋色が家で待っているようで、ヤマトの心のどこかでそう思うようになった。
だからあの時、「母さんはもう死んだんだ。お前もわかってんだろう。」
 そういった蒼雁に怒りをぶつかるよう、呪うような口ぶりで、「緋色ではなく、お前のような息子が死ねばよかったのに。」
 あの時、羽葉鳥は中学生で、喧嘩を止められず、ただそばで泣きながら、ご飯を作っていた。きっと緋色だったら、同じく泣いてご飯を作って、何を言えばわからないのだろうと思えば、あの場にいるのは緋色だと思い込み、ヤマトまでポロポロと涙が止まらないこともあった。
「あいつに嫌われるのも当然、か。」
 あの日以来、蒼雁はヤマトと話したことはない。大学に受かったとか、外でアパートを探したとか、全部羽葉鳥から聞いた情報ばかりだ。それなのに、
「それなのに、お前は、俺が蒼雁と和解を望んだと…」
 止まない雨は、蒼雁の冷たい瞳をおもいだす。そして、自分にもその目を持つという事実におぼれそうで、息が苦しくなった。
 その夜、簡単な食事を済ませて帰ってきたヤマトの前に、不思議な光景があった。明るくてきれいな部屋、厨房においてあったあつあつなシチュー。まさか羽葉鳥が蘇ったのかとこっそり期待しながら、ヤマトがドアを開けると、そこには、玄関に居座っていて、見知らぬ女の子がいた。
「あの、すみません、勝手に入ってきて…」
 ふわふわな髪の毛が長く、淡い色が染まっていて、大きな目は杏のように丸くて、まるで人形のような女の子だと、ヤマトはちっとした失望を隠し、女の子に声かけた。
「君は、なぜ俺の家に…」
「あ、すみません。私、愛華といいます。その、蒼から鍵もらって…」
 そう言って、愛華はコートのポケットからテープを持ち出した。
「それは…」
「はい、その、蒼の、妹さんからのテープだと聞きました。」
ヤマトは驚きを抑えきれず、テープを受け取って、「君は、もしかして、蒼雁の…」
「はい、私、蒼の彼女です。」
 頬っぺたが赤く染まっていて、愛華は恥ずかしそうに、頭を低く下げて、「余計なことをしちゃったと思いますが、なんかここ、蒼の部屋みたく、つい…」
「いえいえ、むしろ片付いてくれて助かった。何しろ,娘がなくなってから、部屋は一度も整理していないもんなぁ…」
 お茶を淹れた後、ヤマトは愛華から、まるで知らなかった息子の蒼雁のことを聞いた。
「蒼は、昔から厳しい顔しているけれど、実は誰よりも優しんですよ。家にだって、何匹拾ってきたねこがいてね…あ、私も、蒼に拾ってきたみたいなものですけど…」
 話によると、愛華と同じクラブの蒼雁は、いつもぼんやりしているような彼女の面倒を見ていて、いつの間にか一緒になった。
「蒼から見れば、私も小動物的な何かかもしれませんが、私も、蒼の役に立ちたくて…」
「だから、テープを…」
「はい…すみません。」
 愛華は力強くこぶしを握って、「やはり、蒼だって実はお父さんとちゃんと話しして、テープを渡ししたいと思っているはずです。でも、どうしてもできなくて…」と言った。
「蒼雁は、きっと俺のこと死ぬほど嫌いじゃないのか。」
 自嘲的なヤマトの笑顔を見て、愛華は急に立ち上がった。
「違います。蒼は…」
その時、ドアがもう一度開いた。玄関には、汗まみれな蒼雁がいる。
「勝手に来るんじゃねぇ、愛華。」息切れしそうで、心配しそうな顔して、蒼雁は愛華の手をギュッと握った。
 そんな蒼雁を見るのはじめてで、ヤマトも少し驚いて、言葉が出なかった。いつもあの氷みたいな蒼雁しか見たことがなかったが、この子だって、自分なりの目標をもって、自分らしく生きてきて、ヤマトみたいのではなく、蒼雁なんだということに気付かなかった。
「何見てんだよ、気色悪い。」
でも口の悪いのは相変わらずだと、ヤマトは笑った。
「いや、ほんとに大きくなったな、蒼雁。」
「親父も老けたな。」
「葬式以来か…そんなにしばらくってわけじゃないなぁ…」
「いや、しばらくだよ。」
 蒼雁は遠くを見るような眼をして、「正直なところ、母さんが死んでからじゃないのか。」
「それは、どういう…」
「ま、俺も結局来ちゃったところだし、テープでも聞いて帰ろうぜ、愛華。」ヤマトの疑問には答えず、蒼雁はリュックの中のテープレコーダを出した。
「その、蒼雁、」
 ヤマトは一番聞きたいことを口にした。それは、葬式の蒼雁との短い会話の後からずっと心に残っている疑問だ。
「羽葉鳥は、俺のせいで死んだのか。」
「それは、俺が言っていいことじゃねえよ。」蒼雁の表情は、ちょっと長すぎる前髪のせいで見えなかった。
「でも、羽葉はお前がゆえに死んだ。だから俺にとって、お前は大事な妹を奪った人殺しだ。」
振り向いた。蒼雁の目は氷みたいなそれではなく、それは、秋の日の涼しい泉のような目線だった。
「そして、俺のおやじってことで。」
 なんとなく、ヤマトはわかってきた。蒼雁は自分のことが死ぬほど嫌いのではなく、自分の存在を死ぬほど耐えているということ、そして、そんな簡単なことすらわからなくて、ただ単に息子の変化に驚いている自分の不甲斐なさを思い知った。蒼雁は変わらなかった。ずっとあの時の蒼雁だ。でも、例え変わったとしても、それはヤマトのためでもなく、羽葉鳥のためでもない、愛華のためだろう。信じたことはないが、それは愛の力とも言えるだろう。
「このテープは、必ず兄さんと父さんと一緒に聞くこと。」
いつの間にかテープが始まっていた。懐かしい娘の声が流れ込んでて、ヤマトがつい微笑んだ。
「テープを兄さんに渡したときから気づていたけど、兄さんは変わったね。たぶんすべて愛華さんのおかげだと思うよ。だから愛華さんにもありがとうって伝えてね。」
 やはり羽葉鳥も蒼雁から昔と違う何かを感じとったのだろう。
「父さんは、ずっと兄さんのことをもう一人の自分としてみてきた。だから、兄さんのことを一度も認めていなかった。そして、兄さんもきっとそれに気づいたと思う。だから兄さんが父さんを好きになれないのも当然でしょう。でも、」
 娘の声が一段と優しくなって、「もしいつか、兄さんが父さんと話そうと思ったとしたら、それはきっと、兄さんは誰かから愛をもらったんだと思う。」
 ふっと、ヤマトは愛華に一瞥を投げた。さっきから蒼雁のその見たことのない顔に違和感を感じたが、今ならその感覚の正体がわかってきた。そうだ。それは、昔緋色がそばにいた時の自分の表情だ。
「そして、私は父さんに言いたいのは、母さんの死は、決して父さんのせいではないってこと。」
 意外な言葉に、ヤマトは即、反応ができなかった。
「父さんは、きっと今でも母さんの死のことで自分を責めている。だから、誰かがそれを言わないと、そして、父さんの子だから言えるよ。母さんの死は、仕方がなかったことだから。」
 すると、蒼雁は急に停止のボタンを押した。
「…聞いたんだろう。おまえのせいじゃねってよ。」
 なにやら、息子の顔は拗ねてるようにも、照れているようにも見える。
「俺は、おやじのこと一度も好きになったこともねし、たぶん、一生許せねし、でも…」
 愛華の手を握って、決意したように、蒼雁はまっすぐヤマトと向き合った。
「愛華とであってな、俺は、あの時おやじの気持ちを少しわかった気がする。たぶん、お前は、自分が、お前が死ねばいいって言ってんだろう。」
 緋色ではなく、自分が死に相応しいと、ヤマトは確かに何度も思ったのだが、息子にそう言ったときの自分は、実は息子にではなく、自分に言ってたと、ヤマトは初めてそんなことに気がづいた。
「だから、俺たちから言うしかないだろう。おやじのせいじゃねって。俺は、お前が大嫌いだけど、俺をちゃんと見てもいない、愛してくれないおやじが大嫌いだけど…」
 蒼雁は苦く笑し、「でも、大事な人を失って、どうしようもない気持ちって、つらいからな。」
 そう一気に吐き出して、蒼雁はぺこりと頭を下げている愛華を引っ張て、「レコーダー、使い終わったら捨てていい。もう使わないし、会いたくもないから。」
 でも、ヤマトには聞こえた。蒼雁は低い声でまたと言ったこと。
「緋色、俺たちの子供は、ほんとにやさしんだな…」
 父親失格だが、わかろうとしている息子がいて、そばにいようとしている娘がいた。そして、その二人は、愛することもできなかった父を許そうとしている。
 テープの続きを流し、ヤマトは、もう一度息子に会うことばかりで頭の中はいっぱいだった。きっと息子はいやそうな顔して、喧嘩のなるだろう。でも、そんな父でさえまた話してくれるなら、それだけで十分だと、ヤマトは今心底そう思った。
「そういえば、次で最後のテープだよ。ここまで付き合ってくれてありがとうね、父さん。」
 そして、その羽葉鳥の言葉で、気力も体温も、何もかもが奪われたような気がした。
「最後のテープは、鷹子さんのところにあるの。そして、約束通り、父さんに私が自殺した理由を告げ、それから…」
 羽葉鳥の声がとっても優しいけれど、ヤマトには、なんの貶めセリフよりも残酷に聞こえた。
「それから、私は父さんのそばからいなくなるんだよ。」

IV
娘はもうこの世にはいないと、何度も自分にそう言い聞かせたヤマトだが、実はこのテープの存在で救われているのかもしれない。テープがあるから、娘の死から、わずかだが、目をそらすことができた。そばにいなくなったというのは、実際はただのいたずらではないかと、心のどこかでそう思い込んでいる。
「本当に、もういないんだなぁ…」
 テープをゲームのように残しておいて、勝手にいなくなるのは、わがまますぎて、娘がするような所業とは思えなかった。
そんないろいろな考えが頭の中を飛び交っていたが、ヤマトは最後のテープのありかへと進んでいく。
「最後のテープは、父さんもよく知っている人の所にいるよ。この間、家にいらした鷹子さんの所、私は、テープをそこに預かっておいたの。」
 娘の死は、きっと自分が妻を亡くし、別の女を求めることを許せなかったからと、ヤマトはそう思い込んでいた。それでどうしても罪悪感を感じてしまう。でも、鷹子の所に娘が、わざわざテープをよこしたということは亡き妻に対する浮気は羽葉鳥が死を選んだ理由ではないということだとヤマトも悟った。
「それにしても、なぜ鷹子に…」
 フリーターの鷹子は、都心で小さなアパートを借りている。そこには、ヤマトが仕事の後で酔っぱらってしまったときによく邪魔していた。それも鷹子と親しくなったきっかけでもあるかもしれない。会社でファイル整理のバイトをしている鷹子は、とにかくかっこいい女の子だ。自分より十歳年下だが、作業は早いし、まじめだし、話を聞くと、ちゃんと自分の主張を持っていて、おもしろいタイプだ。少なくとも、ヤマトの人生では、初めてあった人とは断言できる。だからこそ、ヤマトは鷹子に対してより興味を持ち始めた。鷹子も、最初は多分妻を亡くしたヤマトに同情してくれたのだろう。そしてだんだん話し相手、人生の先輩として接してきた。二人は、ありったけの偶然を機に、ながよくなった。でも、ヤマトから言えば、それは愛人と呼べる存在かどうかは、正直、性的な付き合いではない以上、その説は成立できないと思っている。
「親しい友人の関係を超えているのは事実だがな。」
 アパートの鍵を持っているヤマトは、そのままドーアを開けて、「鷹子,いるか。」
「やあ、久しぶりね。仕事さぼった。」
「馬鹿を言え。部長に休めと言われたんだ。」
「だろうな。出ないともう首ぶっとんっでしまってるかもね。」
 娘のことについて何も言いださないのは、ヤマトへの気遣いかもしれない。羽葉鳥がいなくなって、この世で一番のヤマトの理解者は、鷹子しかいないと思うと、のどの奥が詰まっているようで、ヤマトは何も言い出せなかった。
「用件は知っているよ。羽葉鳥ちゃんのテープだろう。今出すから、ちょっと待って…」
「いや、いい。上がらせてもらおう。」
 きっと、娘なら、テープを鷹子に渡した娘なら、こう望んでいると、ヤマトの心のどこかでそう思っている。
「プレイヤー、持ってきたんでね。一緒に聞こう。」
「…じゃ、お茶を用意する。」
 ソファーと机しかない部屋だが、狭く見える空間には浅葱色の壁紙が張ってあって、すっきりしている。
「娘は、どうやってテープを…」
「あの子は、ヤマトの会社へ行って、私を呼び出したんだ。礼儀正しいくて、大人しい女の子だなぁと思ったんだ。」
 茶碗を机の上に置き、「羽葉鳥ちゃんは、私に言ったんだ。父さんを支えてくださいってね。何かあったと思ったんだけど、結局何もしてあげられなかった。」
「鷹子のせいじゃ…」
「ヤマトのせいでもないよ。」
「どうかな。最後のテープは、きっと俺を呪うために残しておいたもの だと、何度も思った。緋色の分も一緒に…」
「こんなくだらないことのためにテープを残す子じゃないことぐらい、お前も知っているだろう。」
 プレイヤーをつけて、放送が始まった。
「父さん、このテープ、もしよければ、鷹子さんと一緒に聞いてね。たぶん、鷹子さんはもう全部わかってると思うけどね。」
 娘の声は、何となく寂しそうに聞こえる、それは、自分で思い込んだことなのか、本当にそうなのか、ヤマトにはわからない。
「このテープで、私が自殺する理由を、父さんに伝えたい。そして、父さんが、私がいなくなっても生きていられるために、前の三つのテープを残した。父さんは、私がいなければ、廃人になるかもしれないから、ほかの人に言いといて、ちゃんと父さんを見張ってもらわないとね。」
「ほら、いい子でしょ。」
「わかってるんだ。」ヤマトも眉間のしわを緩めていた。娘の声は、いつ聞いても、やさしくて、懐かしくて、ヤマトの大好きな声だ。そういえば、妻もこのような声をしていた。血の繋がりはやはり強いものだと、ヤマトはふっとそう思った。
「私は、父さんのことが大好きです。たぶん、この気持ちは、母さんと同じだと思う。父さんがそばにいて、それで母さんがなくなって、私に残ったチャンスだと、一度はそう思ったこともあった。父さんは私がいれば十分だと思っていた。私なら、きっと母さんみたいに、父さんのことを大事にできるんだもの。」
 羽葉鳥の声が悲しく耳にそこで響いている。
「でもね、これじゃいけないって、自分でも気づいたの。私が父さんへ捧げた愛は、父さんにとって、母さんの死から逃れられない枷となってしまったの。だから、父さんからを目をそらすために、私は、嵐にひどいことをした。もう一人を好きになったら、父さんのことも、いつか気にしなくなっていくのかもしれないしね。」
 深く息を吸って、「結局それは失敗だった。私は、嵐を愛することができなかった。何をしても、父さんを裏切っているように感じる。私は、どうしても父さんのことを愛おしくて、目をそらすことですらできなかった。きっと、母さんの魂が私に乗り移ってしまたんだよ。だから、以前よりも、父さんのことを愛していたんだよ。」
 なぜか、こんなことを言っている羽葉鳥は、きっと優しい顔をしていると、ヤマトは何となく感じた。「父さんも、私を母さんだと、思っているんでしょ。だから鷹子さんを家に連れてきたときは、浮気がばれてしまったような顔をしていた。そして、その時をきっかけに、私は、死ぬことにしたんだ。せっかく、父さんが、母さんのことを忘れて、前に進もうとしているのに、私がいるせいで、そんな簡単なことすらできなかったの。そして、気づいちゃったの。たぶん、父さんも、私のことを、母さんのように愛しているんじゃないかって思っていた。」
 まるで誰かが自分を強く一発殴ってたように、ヤマトは目を丸くした。緋色がなくなって、自分の世界が崩れかけているとき、羽葉鳥、この妻とうり二つの娘の存在がそばいいた。それで、まるで妻がそばにいたように、妻が離れたことがないかのように、思いこもうとしたこの哀れな嘘は、ヤマトを救ってきた。だから娘がいなくなった今は、自分も空っぽになってしまった。妻に似て、妻のように育ってきて、ヤマトが、知らず知らずでそうさせたのだろう。
「父さんには、前に進む権利があるんだよ。母さんがいなくなったって、それは、父さんが背負うことじゃないわ。だから私は決めたの。母さんを連れて、父さんの前から消えることにした。そしてやっと、父さんは自由になれるわ。母さんもきっと、そう望んでいるよ、だって、母さんだもん。私と同じ、父さんのことが大事だもん。」
羽葉鳥がそばいいることで、ヤマトは緋色を忘れずにいられる。まるで緋色が離れたことがないように、離れたことを考えないようにできた。それを今、羽葉鳥が全部連れ去った。
「きっと父さんにとって、これは救いなんかじゃないかもね。でも、人を癒せるのは、いつだって、そばにいる人たちだよ。私はそれができなかったけれど、鷹子さんなら、できると思うわ。だから、父さんを鷹子に託すことにしたよ。私も、母さんも、そう願っている。」
 羽葉鳥の声が、あまりにも優しくて、葬式ですら泣かなかったヤマトが今、目が熱くなっていた。
「きっと最後まで、父さんは私のテープは、父さんを責めるために残したと思っているんでしょう。きっと、母さんが自分を恨んでいると思っているんでしょう。でもね、そんなことは絶対ないわ。だって、父さんを愛しているから。」
 軽く、じゃっと言って、プレイヤーがそこで止まった。
「…ヤマト、お前、泣いているのか。」
「…そうだな。急に、涙が、止まらなく、なって…」
 緋色が死んだときも、羽葉鳥が死んだときも流れなかった涙が今、ぽつぽつと落ちている。
 鷹子は軽くヤマトの肩を叩いて、「ほら、見ろ、今日やっと晴れたんだぞ。」
 羽葉鳥が亡くなってから雨の日が続いているが、いつの間にか、陽が雲の後ろから光を刺した。
「あぁ、いい天気だな。」
 愛している。羽葉鳥が言ってた。そして、緋色も言っていた。ずっと忘れていたが、あの二人は今どこかで笑って自分を見守っているだろう。ならば、伝えることは一つだけだ。
「俺も、愛しているだ。」
 洗ったように澄んで、ちょっぴり夕日に赤く染まっている空。そこに、一羽の鳥が空の向こうへ飛んでいく。なんとなく、それはきっと羽葉鳥だと、ヤマトは思って、「愛していた。」と呟いた。


小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である あえか さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

ジャンルを間違えて再投稿してみました。
恋愛小説っぽくないですけど、まぁ、ぎりぎり入っていると思います。
2018/07/07 17:23 あえか



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