歴史小説・現代小説の投稿サイト・ShortSTORY・ジャンル別にページが分かれています。

歴史小説・現代小説 投稿 サイト/短編・掌編・長編。歴史小説・現代小説の投稿

現代小説/歴史小説

『〜In the Bush〜』

くろひょう著



「おい、じん!」
 黒豹出版文芸部オフィスに胴間声が響き渡った。編集長だ。鼻が大きく、下がり眉毛の巨漢だった。オフィスに緊張が走る。驚いただけだった。
「はぁ」
 やや間の抜けた声で答えたのは副編集長代理補佐の花代かだいであった。実際は花代の下の名前は仁と書いてにん≠ニ読むのだが、誰も正しく読まないし訂正も本人が面倒くさがってしないのでじん≠セとほとんど誰もが思っていた。下の名前で呼ぶのは編集長だけだ。
 花代は微妙にのろのろと、オフィスの窓際ど真ん中にある編集長のデスクに向かった。編集長からなにやら指示を受ける花代の様子を、なんの用事だろうかと思いながら鈴木すずき鈴子すずこは眺めた。しかし、すぐに鈴子はノートパソコンの画面に視線を戻す。
 まぁなんにしても自分には関係のないことだ。
 ところがそうではなかったのである。

「藪の中!?」
 小会議室に集められた、鈴子を含めて六名の若手中堅編集者のほとんどの者がそう叫んだ。ひとり掛け用のデスクにそれぞれが着いている。配置はばらばらだった。
「そうだ。芥川龍之介の『藪の中』の真実を突きとめるんだ」
 ホワイトボードの前に立つ花代が言った。
「どういうこと?」
 と鈴子が言い、
「なんで?」
 とももちゃんこと坂下さかした桃子ももこが言い、
「どういう企画ですか?」
 と田所たどころがくせっ毛をごしごししながら言った。
「うちが出してる雑誌、『みんなの健康』の特集記事のためだ」
 黒豹出版ではふたつの雑誌『みんなの健康』と『みんなの家庭菜園』を月間で発行していた。定期的な雑誌はこのふたつだけで、かなりの売り上げを誇っている。文芸誌『みんなの文芸』はこの間、不定期刊行に変更されていた。
「なぜそれに?」
「割と時間がありそうな『みんなの健康』の購買層に、読書に興味を持って貰うためだ」
 うーんとみんなが頭をひねった。花代を含めて。
「そ、それで、何人に依頼するんですか?」
 鈴子が言った。
「ん? なんのことだ?」
「え、作家の先生に謎解きを依頼するんじゃ?」
「そんな予算はない。お前たちが謎を解くんだ」
「ええー!?」
「期限は五日、掲載数は三本を予定している」
「無理ー!」
「ボーナスが出るぞ」
「えっ! い、いくらですか!?」
 その問いに花代は片手を広げて突き出した。
「ご、五百万!?」
「んなわけあるか! 五万だ、五万!」
「微妙にショボ」
 と言ったのは桃ちゃんだった。
「いやいや、結構大きいよ」
 と言ったのは鈴子だった。
「参加者全員に貰えるんですか?」
「甘い。掲載記事だけだ」
 そうして鈴子らは仕事の合間に、もしくはそっちのけにして『藪の中』を何度も読み返すことになったが、事件が起こったのは三日目だった。

 臨時探偵欅道けやきみちに問われたる田所の供述

 あ、どうも。田所といいます。歳は二十四です。趣味は――え、必要ない? そうですか。
 い、いえ、彼女はいません。いやいや、ほんとですって。そんなにもてそうですかねぇ、ふふ。――え? 社交辞令? …………。
 ああ、事件の話ですね。悲鳴が上がったのは給湯室です。また給湯室かって? そうですね、会社でなにかか起こるとしたら給湯室なんですかね? 思うに――え? 考察はいい? ですよね。悲鳴が聞こえて、それでなにごとかと慌てて駆けつけたんです。ええ、僕が一番乗りでした。
 時間ですか? 四時にはなってなかったと思います。三時四十五分頃。いや、時間なんか確認しませんって。なにが起こったのかわからなかったし。
 給湯室に入るとですね、真っ青な顔をした桃ちゃんが、ああ、坂下桃子さんです。ええ、デ――ぽっちゃりした。その桃ちゃんが真っ青な顔をして茫然と突っ立ってるんです、給湯室の奥の方で。その目は流しの、なんて言うんですか、シンクの横の作業するところを向いてました。
 桃ちゃんの様子が変でしたから、どうしたんですかって聞いたんです。あ、いや、なにがあったんですか、だったかな? あれ? なんて言ったっけ? あ、そうですか。
 とにかくまあ、そんなことを言ったんです。そしたら桃ちゃんが震える腕をゆっくり――え、いや、作ってませんって、ホントに震えてたんですよ。なんで笑うんですか? 無駄に盛り上げなくっていいって――ホントですって。まあいいですけど。
 で、桃ちゃんが震える指で指差したところを――指で指差すが変? ――震える指で差したところを見ると、そのデカプリンの空容器があったんです。
 中には使い捨ての透明なスプーン、ええ、それです、それが入っていて、容器の横っ腹にはマジック、たぶんマジックでMOMOと書かれていました。
 それで、桃ちゃんに、食べられちゃったんですか? って、あ、いや、食べられてしまったんですか、だったかな? なんだったっけ? まあ、聞いたんです。そしたら桃ちゃんがこくんと頷いて、その目から大粒の涙が――。

 臨時探偵欅道に問われたる地味な長尾ながおの供述

 長尾と申します。よろしくお願いします。え、趣味ですか? それはちょっとこの件とは関係ないかと――ただの興味? わたくしなどに興味を抱いていただいて恐悦至極でございますがノーコメントです。年齢は三十四になります。え? 年齢は素直に明かすのかと? そう申しましても、年齢をごまかしても詮のないことではございませんか。え? 名簿と違う? すみません、本当は三十六です。
 桃ちゃんがデカプリンを買ったことは間違いありません。あ、はい、では順を追ってお話しいたします、たいしたことではございませんが。
 今日は幸運にもお昼にひと区切りつけることができまして、と申しましても十二時を十分ほど過ぎておりました。外でランチをしようと立ち上がりましたところ、ちょうど同じように立ち上がった桃ちゃんと目が合いまして。わたくしと桃ちゃんの席は、島は違いますが向かいあっておりますので、こういうこともあるのです。
 わたくしは桃ちゃんに、一緒にランチに行くや否や、と目で問いかけました。いえ、言葉は発しておりません。わかるのです、ピピッと。お互いに。桃ちゃんが、行かざるものか、と目で答え、わたくしたちは近くの洋食屋へ向かったのです。え、会話ですか? いえいえ、他愛のないことばかりでここでお話しするようなことではございません。ア、アイドル? な、なんのことだか。そちらには非常に疎くて。ああ、解散はショックでしたね。
 洋食屋ではわたくしはAランチを、桃ちゃんはAランチに加えてパスタとミートパイと――え、必要ない? さようですか。
 食事が済みますとコンビニエンスストアに立ち寄りました。そこで桃ちゃんが買ったのがデカプリンです。わたくしは、あれだけ食べてまだ食べ物を買うのかと驚嘆いたしまして思わず、マジかよ! と申しまして。一言一句間違いなくそう申したのです。桃ちゃんはそれはもう童女のような可愛らしい笑みを浮かべまして、三時に食べるのだという意味のことを申しました。ちなみにわたくしが買ったのは――え、必要ない? さようですか。
 こういうわけで、店舗で売られていた商品の個々の識別はわたくしには適いませんが、そこにある空容器と同じデカプリンを桃ちゃんが今日のお昼過ぎに購入したことは間違いないのです――。

 臨時探偵欅道に問われたるゴージャス浜口はまぐちの供述

 どーも、浜口です。(妖艶な笑み)え? 胸ですか? いやですねえ、本物ですよ。サイズは上から九十二、五十九、八十八。あら、先生、それってセクハラですよ。あ、でも先生になら――は? 証言の信頼性? ……八十九、六十五、九十五です。年齢は二十九、あ、ウソ、三十二。え、聞いてない? しまったぁ……。ああ、続きね。
 あたしが給湯室に行ったのは一時ごろだったかな。紅茶をね、そ、お紅茶。あたしはこう見えても紅茶には――ああ、はい。えーと、そうそう、紅茶を淹れてるところに桃ちゃんがやってきて、コンビニ袋からデカプリンを取り出して、持ってたペンで――きっとデスクで取ってから来たのね、油性ペン。(大げさな動作で脚を組みかえる)それでデカプリンの容器の側面になにやら書きはじめたわけ。
 まぁ冷蔵庫はみんなが使うものだから、どれが自分のものかわかるようにするっていうのはわかるけど、デカプリンだよ? ほかに誰もそんなもの買ってないって。ペットボトルみたいに、飲みかけ食べかけで戻したりもしないだろうし。あ、するのかな?
 そんなことを思っちゃったんで、それ必要? って言ったわけ。そしたら桃ちゃんが――あれ、なんて言ったかな? 所有権の主張がなんとかって話だっけ? まあそんなことを言うわけ。まあどうでもいいから、ふーん、って感じだったけど、桃ちゃんはアルファベットで――そうそう、そのカッブに書かれてるやつを書いて、コンビニ袋に入れてね、ぎゅーって縛ったわけ、持ち手のところ。それから冷蔵庫に戻してちょっとあたしと話して一緒に給湯室から出たってわけ。あー、なんだか今日は暑いなー。(ブラウスの胸元のボタンを外して体を前のめりにする)
 それでね――あ、もういいの。ちぇっ。
 まあそういうことで、そこにある空っぽになっちゃったカップは桃ちゃんのものに間違いないわけ――。

 臨時探偵欅道に問われたる桃ちゃんの供述

 坂下桃子っす。桃ちゃんと呼んでくれて構わないです。デカプリンは三時に食べようと楽しみにしていたのに誰かに食べられてしまって、絶望を感じています。
 いえ、それが急な仕事が入ってしまって三時には休憩を取ることができなかったです。ある先生から、いくつか資料を用意してくれ、と言われたんで。うちが備えている書籍を宅配便で発送して、残りをあちこちに尋ねて送ってもらうよう手筈を整えて、やっとひと息つけるようになったのは三時をかなり回ってました。え、正確な時間っすか? えーと、そういえば時計を見ました。だいぶ遅くなっちゃったなぁって。確か――三時四十分くらいだったかな。デジタルで確認したのでちょっとはっきりしないです。え、デジタルとアナログで違いがあるのかって? あるんじゃないっすかね。ほら、アナログなら映像で針の位置がどの辺って覚えるでしょうけど、デジタルはまぁ映像といえば映像ですけど、どちらかというと――え、もういい、ですか? はあ。
 それで、やっとデカプリンを味わえるとウキウキして給湯室へいって、奥にある冷蔵庫を開けたところ――ないんです、あたしの可愛いデカプリンが! 確かに二段目の棚に置いたんです! それなのに、ないんっす! あたしは誰かが動かしたのかと思い、冷蔵庫の中をくまなく探しました。でも、職場の冷蔵庫にそれほど物が入っているわけじゃなくって。すぐにそこにはないってことがわかりました。
 あたしは朦朧としたまましばらくその場にたたずみました。信じられなかった。信じたくなかった。
 あたしはほとんど無意識のまま振り返り、流しの上にぽつんと置かれたものに気づいたんです。入ってくる時には気づかなかった、無惨なデカプリンの亡骸っす。哀れなその姿を見てあたしの中のなにかが壊れました。
 その後、口から出た言葉をあたしは覚えていません――。(あとは泣き崩れて言葉なし)
   ×    ×    ×

 臨時探偵欅道に問われたる花代の供述

 えーと、花代です。なんか白々しいな、こういうの。プロフィールはいいでしょ。
 俺が給湯室に入ったのは三時半ごろだったかな。正確にって言われても――覚えてないな。いちいち休憩だからって時間は見ないでしょう? え、見る? ……そうかもしれませんね。でも今回は見なかったなぁ。
 なにをしてたかって、コーヒーを淹れただけです。いやいや、そんな長い時間じゃないですよ、ドリップしただけです。ここのコーヒーメーカーのが煮詰まってるのはご存じじゃないですか。
 え、いつもは煮詰まってても平気って、よく知ってますね。誰に聞いたんですか? 言えない? まあいいです。おおむね鈴木でしょうけどね。今回は新鮮なものが飲みたかっただけです。
 いや、俺が入った時には空容器はなかったですね。流しのところで淹れたし、そこにあったんでしょう? あったら気づきます。
 デカプリンを盗み食いする時間がたっぷりあったって言われても――そもそも他人のものを食べたりしませんよ。プリンなど食べたいとも思わないが、万が一そう思ったなら買いに行きますよ。え、実はプリン好きって――なんで知ってるんですか。これも鈴木が――いや、あいつは知らないはずだな。知ってる者はいないはずだが――え、コンサートの帰りに一緒に? ――ほかのやつらには黙っててくださいよ。いや、なんとなくですけど。
 突発的にって、そもそも冷蔵庫を開けませんよ。冷蔵庫の中にデカプリンがあることを知ってるはずがない。ただコーヒーを淹れただけです。
 そもそもプリンというのは短時間に掻きこむようにして食べる物じゃないんです! いや、食べるという表現さえあり得ない! 時間がある時にゆっくりとひとさじずつ、ひとさじずつ、その濃厚な甘さと芳醇な香りを舌の上でとろけさせ、じっくりと味わうものなんです。
 いいですか、プリンについて――。(延々とプリン談義が続くので中略)
 ああ、いいですよ! そんなに言うならもう俺が食ったってことでいいです! はいはい、俺が食べました!

 臨時探偵欅道に問われたる鈴子の供述

 あ、鈴木鈴子です。いつもお世話になっております。
 ええ、今年で黒豹出版に入って四年目になります。二十六歳です。
 え、サイズですか? 五十センチです。なかなか合う帽子がなくて。いいなと思うのはどれもぶかぶかなんですよ。お洒落が――え、頭のサイズじゃないんですか? じゃあ足の――スリーサイズ? それが事件解決の役に立つんですか? そうですか、それなら――って、んなわけないでしょう! 最初からわかってましたよ! わざとボケてたのに! ――そ、そりゃあ細いですけど、でも、出るところはちゃんと――って、やめてください! そんなさわやかに笑ってもごまかされませんよ!
 給湯室に入ったのは、コーヒーメーカーの煮詰まったのを淹れ直すためです。誰も飲まなくなりますからね。いえ、いつもではないです。水で薄めて誤魔化すときも多いです。
 え、今日は淹れ直した理由ですか? えーと――え、プリンを盗み食いするための時間稼ぎ!? そ、そんなんじゃありません! そんなことしてないですし! 特に理由はありません。ただ新しいコーヒーを飲みたくなった、それじゃいけないんですか?
 口直し? だから盗み食いなんてしてません。桃ちゃんは大事な友人です。友人から物を盗むような真似はしません。――いえ、友人じゃなくても盗ったりしません。――それは言葉尻を捉えただけです! そういう意味で言ったんじゃありません!
 え、お尻? そりゃあ、わたしのお尻はちょっと小さいですけど――え、いやいや、小さいでしょう。――いくらなんでもそんなに大きくはないですよ!
 また変な話になってる! とにかく桃ちゃんの――え、気づかなかったから食べたって言うんですか? はぁー、前回に続いて今回も……もういいや。そうです、わたしが桃ちゃんの物と気づかず盗み食いをいたしました。これでいいですか?

「こういうわけでふたりともが自分が犯人と言っているんです」
 欅道先生が、関係者がそろった文芸部オフィスでため息をついた。
 事件発生直後にたまたま遊びにきた欅道先生が探偵役を買って出て、何人かから聞き取りをしたのだった。鈴子と花代が疑われているのは、凶行が行われるほどの時間給湯室にいたと思われるものが、ほかにいないからだった。
 皆が囲むミーティングテーブルには、哀れ無惨な姿になったデカプリンの容器が置かれていた。
「しかし、どちらかが嘘をついている」
「まるで『藪の中』ですね!」
 田所が興奮したように言った。
「でもまるで趣が違うよね」
 ゴージャス浜口が言った。
「それにどっちもやけっぱちで自供したようなものだし」
 地味な長尾が言った。
「共犯じゃないですかね?」
 と田所。
「共犯なんかじゃありません! 証言を撤回します! 犯人は花代さんです!」
 鈴子はびしっと人差し指を花代に突きつけた。
「あっ、おまえ。じゃあ俺も撤回だ! 犯人は鈴木だ!」
「おまえとか言わないでください!」
 ふたりはお互いに罪をなすりつけ合う。人間の醜さを見るようであった。
「これで元の木阿弥ですね」
 地味な長尾がため息をついた。
「ふたりが一個づつ買ってあげればよかったのに」
 ゴージャス浜口が苦笑しながら言った。
 それまで不機嫌な顔で黙っていた桃ちゃんがぴくりと反応した。しかし、なにも言わず、かわりに言葉を発したのは欅道先生であった。
「いえ、それでは許しません。僕の推理で必ず犯人を暴き出し、しかるべき罰を受けてもらいます」
 みなは息を飲んだ。
「幸い証拠が残っていますからね」
 欅道先生はミーティングテーブルの空容器に視線を向けた。
「僕の知り合いの大学教授に、DNA鑑定をお願いすることとします。逃げられませんよ」
「ご、ごめんなさい!」
 わっと泣き崩れたのはみどり≠ウんだった。みなは生温かい目でみどり≠ウんを見守った。またおまえか、ってなもんである。

 桃ちゃんとみどり≠ウんは別室で話し合いを持った。デカプリン二個で和解した。
「また推理は関係なかったじゃないですか」
 鈴子は淹れ立てのコーヒーを欅道の前に置いて言った。ミーティングテーブルである。
「お、ありがとう。鈴木さん、お言葉を返すようだけど、今回のは推理ですよ」
「どこがですか?」
「DNA鑑定をすると言えば、きっと犯人が名乗り出ると思ったんです」
「そんなの推理じゃありません。ただの予想です」
「まぁそこは見解の相違ですね。なんにしても、科学捜査の前では推理はあまり役に立ちません」
 欅道先生はにこにこ顔で言った。
「じゃあ聞き取りなんか必要なかったんじゃ……」
「推理で解けたらカッコいいじゃないですか」
「ああ、そういうことですか……」
 鈴子はミーティングテーブルに突っ伏した。

 雑誌『みんなの健康』の企画『ついに解明!? 藪の中の謎!』の締め切りの日、鈴子らは小会議室にいた。
 それぞれの推理を、ひとりづつ壇上でプレゼンテーションすることになっていた。聴衆は、発表者のほか『みんなの健康』編集長と編集者数名、文芸部の編集長、花代、暇な役員などであった。くじ引きの結果、鈴子は最後の発表者となった。
 採用されれば五万円。みんなのプレゼンテーションには力が入っている。内容も、強盗ふたり説、被害者ふた組説、検非違使犯人説など多彩だった。
 鈴子はどきどきしながら他の者がプレゼンするのを聞いていた。こういう自分の出番を待つ時間が鈴子は苦手だった。早いほうが、早く楽になれていい。
 そうしているうちに鈴子の番になった。演壇につき、聴衆の顔を眺めると不思議とどきどきが治まった。鈴子はいざとなると度胸が座るタイプであった。

※ 以下、芥川龍之介「藪の中」および、アンブローズ・ビアスの「月明かりの道」または「月下の道」の内容に触れています。未読の方は、「藪の中」は青空文庫で読めますし、「月明かりの道」はネットで検索すれば読めますので、アレだったら先に読んでおいた方がいいかと思います。
 こんなの読まなくていいや、とか、今忙しい! という方は、目をすがめて下の◆◆◆までスクロールしていただくと、ハッピーでしょう。


 あ、えーと、鈴木鈴子と申します。よろしくお願いします。
 さて、わたしが出した「藪の中」の謎の答えは、この物語に「謎なんてない」ということです。なぜわたしは謎はないという結論に至ったのか、なぜ人はこの物語に謎があると思ってしまったのか。
 まずは謎がないと考える理由についてお話ししましょう。
 この物語には下敷きとなった小説があることは、みなさんご存じだと思います。アンブローズ・ビアスの「月明かりの道」または「月下の道」ですね。直接の内容ではなく、書き方というか構成というか、そういうものがよく似ています。
 月下の道は、
「ジョエル・ヘットマン・ジュニアの証言」
「キャスパー・グラッタンの証言」
「霊媒師バロールの口を借りて、故ジュリア・ヘットマンの証言」
 という三人の語りで綴られています。特に最後の「霊媒師バロールの口を借りて、故ジュリア・ヘットマンの証言」などは、「藪の中」の「巫女の口を借りたる死霊の物語」とそっくりですね。
「藪の中」の発表年が一九二二年、「月明かりの道」の発表年ははっきりわからなかったのですが、作者のビアスは一九一三年に失踪して行方知れずですから、これは「藪の中」が「月明かりの道」を参考にしたと考えて間違いないでしょう。
 ただ、ふたつの物語の描き方は全く異なっています。
「月明かりの道」は、ひとつの真実を違う三人の視点で捉え、語り手は嘘をついていません。視点が違うのです。もっと言えば、最初の語り手の物語を、次の語り手がどんでん返します。さらにその次の語り手がどんでん返すという、非常に凝った構造ですね。徐々に真相が明らかになるという構成でもあります。
 さて、「藪の中」はどうでしょうか。最後の方の三人の語り手は、殺された者がひとりなら、明らかに二人は嘘をついています。三人ともが自分が殺したと言ってますからね。これは面白いですね。普通はみんな俺はやってない! と言って、誰が犯人かを当てるというのがミステリーの王道です。
 あ、もちろん「藪の中」はミステリーじゃありませんよ?
 ではもっと詳しく「藪の中」を見ていきましょう。「藪の中」では語り手が多いです。七人もいますね。小説を書く上で記述の順番というのは大事です。構成というやつですね。そして最初の四人は物語の背景を語る人々なのです。
 まず「検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語」ですが、これはどんな事件が起こったか、を説明するパートです。男が殺されていた。現場はどんな様子だった。そういうことを語っています。物語、もしくは事件の発端ですね。
 次に「検非違使に問われたる旅法師の物語」ですが、被害者の生前の様子を描いています。特に女性と一緒だった、という情報ですね。事件の背景が見えてきます。
 その次は「検非違使に問われたる放免の物語」ですが、なんと容疑者が捕まってしまいます。ここがもう普通のミステリーとは違うところですね。一見事件解決に見えます。実際、これで為政者的には事件は解決したのでしょう。
 容疑者多襄丸たじょうまるは悪人で、被害者の持ち物を持っていた。犯人に間違いないと誰もが思うでしょう。ほかにも罪も犯していることが語られます。これが重要ですが、気にとめていただくだけにして、次に進みましょう。
「検非違使に問われたるおうなの物語」は、被害者である金沢かなざわ武弘たけひろとその妻、真砂まさごの身元をはっきりさせるパートですね。これで主要登場人物の名前が出そろいました。
 さて、ここまで語られてきたことは真実なのでしょうか? 真実です。ここまで語られてきたことはすべて検非違使への証言です。嘘をついてそれがバレたら当時のことですからどんなひどい罰を受けるかわかりません。想像ですが。
 なので、嘘をつくはずがない。ですが、もし罪を犯していたら、嘘をついてでも罪から逃れようとするでしょう。わたしならそうします。
 しかし、彼らは嘘をついていません。なぜなら、これは物語だからです。物語の焦点はここからなのです。前提事項に嘘があったら物語は成立しません。いえ、嘘があったら必ずそれが明かされなければならないでしょう。「藪の中」では明かされていないのです。
 さて、ここからが物語は核心に入っていきます。
 まずは「多襄丸の白状」ですね。いかにして若い夫婦を犯行現場へ誘い込んだかが語られます。これはそののち触れられませんから、このような手段だったは間違いないでしょう。武弘を捕らえ木に縛りつけます。そして、夫の目の前で真砂を手ごめにするのです。許せませんね、多襄丸。ぐーでぶん殴ってやりたいです。ここまではのちの話でも変わりませんから事実でしょう。そしてなんだかんだあって武弘を殺した、という話ですね。
 ここで読者は「そういうことだったのか」と思うわけです。語り口の巧みさはさておいて物語的には「ふーん」という感じですよね。
 ところが続きがあります。「清水寺に来れる女の懺悔」です。これは話の流れで真砂のことだとみんな思いますね。今までは検非違使への証言というものでしょうが、これはお寺のお坊さんに対しての身の上話とでもいうものでしょうか。読み進めていくと、多襄丸の話と違います。
 ここで「多襄丸は嘘をついていたんだ」と思うか「どういうことなんだ?」と思うのかが運命の分かれ目です。「どういうことなんだ」と思うともういけません。「これは真砂なのか?」にはじまって「木こりの言うことは本当なのか?」まで疑心暗鬼の塊になります。
 なんだかんだあって真砂が武弘を殺したということになります。
 さらに続きがあって「巫女の口を借りたる死霊の物語」を読むとさらに話が違います。死んだ武弘の語りという形ですが、実は自殺だったということです。「そういうことだったのか」と思えばいいんですが、そうでなければもうパニックに近い思考になるでしょう。
 物語の構成からいって、最後に真実が語られる、ということに疑問をはさむ余地はないのです。下敷きにした「月明かりの道」と同じなのです。
 ではなぜ人はこの物語に謎があると思うのか、もっと言えば、隠された真実があると思うのか。
 この物語には、よく考えると不思議なことがふたつあります。
 ひとつは、多襄丸と真砂はなぜ自分が殺したと言ったか。
 もうひとつは、なぜふたりは武弘の死因を知っていたのか。
 このあたりがはっきり書かれていないのが理由でしょう。
 なぜ自分が殺したと言ったかについては後述するとして、なぜ死因を知っていたかについてを考えてみましょう。
 武弘が自らの胸を刺したとき、ふたりはそこにいなかったのです。なのに胸をひと刺しと知っていた。そういう風に語っていますね。
 多襄丸について考えてみましょう。多襄丸が事件現場を離れてから武弘は自死しました。多襄丸は現場へ戻るでしょうか? ホシは現場に戻る、などとよく言われますが多襄丸はどうだったか。多襄丸が藪から逃げたときには誰も死んでいないのです。武弘が追ってくるかもしれません。戻る理由がないのです。ではどこで知ったか。
 最初の四つの証言では証言者はみな「あの死骸」と言っていますね。特に媼は身元確認のため間違いなく死体を見ています。すぐそこにあるのなら「その死骸」と言ってくれればいいのに。とにかくみな武弘の死体を目の前にしているか、見たあとの証言なのです。
 しかし恐ろしい時代ですね。死体のところに連れていって「この人見た?」と聞くのです。今では考えられないでしょう。自分がそんな目にあったら泣きます。死が身近な時代だったのでしょうね。
 話が逸れました。
 さて、多襄丸は死体を見たのでしょうか。多襄丸は「あの男」としか言っていませんが、嘘にしろ「あの男を殺した」と言っているのです。当時はまだ写真もありません。直接死体を見せて問うたのでしょう。甘い、と言わざるを得ません。秘密の暴露、犯人しか知りえない秘密という認識はなかったのでしょうか。
 ともあれ、実際に武弘の死体の傷を見て死因を知ったのです。この考えは、それほど突拍子もないこととはいえないでしょう。
 さて、一方の真砂はいかにして知ったか。真砂もまた、武弘自害の際にはその場にいません。藪の奥へと逃げていったのです。その後、真砂はどうしたか。戻ってきたのです。
 どういう気持ちで戻ってきたのか。奥に逃げたゆえ戻らざるを得なかったのか。女ひとりであてなくさまようわけにもいきません。ふたりの様子を窺いにきたとしてなんの不思議があるでしょう。そこで真砂は見たのです、自らの胸に刃を立て今まさに息絶えようとする夫の姿を。
 そう、最後に小刀を抜き取った者こそ真砂なのです。そうでなければ武弘の傷が小刀であることを真砂が知るすべはないのです、命のあるうちに抜き取られたのですから。あとを追おうとしたというのは、あるいは本当のことかもしれません。
 では次は、なぜふたりともが自分が殺したと言ったのかを考察しましょう。
 まず、多襄丸です。
 捕まって「お前が殺したんちゃうか?」と尋問された多襄丸はどう思ったでしょうか。自分は殺していない。となれば犯人は真砂か武弘自身しかない。どちらと多襄丸が思ったかはわかりません。それはあまり重要ではないのです。そもそもの原因を作ったのは多襄丸本人です。自分のせいであの男は死んだ。憐れを感じてもおかしくはないでしょう。
 そしてここからが大事なところですが、もしこの疑いが晴れれば無罪放免されるなら多襄丸は必死に釈明したでしょう。間違いで罪に問われるのはいやです。しかし、多襄丸は悪人です。他で罪を犯していることは放免の話で出てきました。この一件が無罪になろうが有罪になろうが多襄丸の刑罰に関係ないのです。少なくとも多襄丸自身はそう思った。
 さて、罪を被ることで多襄丸はなにがしたかったのでしょうか? 自分のせいで殺人を犯したかもしれない真砂の罪を被ってやろうと思った? しかし、大立ち回りのうえ二十三回も斬り結んだとか、自分相手にやつ――武弘はすごいやつだった、などと言ったのは、武弘へのお詫びの意味を込めているのかもしれません。そんなことで若い夫婦の命と未来を台無しにした罪は消えませんし、権力への反感からかもしれませんし、ただ単純に自分は強いと思わせただけだったかもしれません。すべての思いが込められているような気もします。
 ともあれ、無罪となっても刑罰が変わらない以上、罪を被るのはそれほど凄いことでもないのです。行きがけの駄賃、みたいな?
 真砂の場合はどうでしょうか。
 悪人の言葉を受け入れ、夫を殺せと言った。しかし悪人が翻意し自分を殺すかと夫に尋ねてびっくり仰天、いったん逃げた。戻ってくると夫は死にかけている。多襄丸が殺したのか自死なのか。真砂は近くにいたのでしょう、武弘が泣き声を聞けるほど。武弘が聞いた泣き声は真砂のものだったのです、書き方的に。
 真砂は夫が自ら死を選んだと知っていたのです。
 ですが、正直に言えば自分が悪者にされる――じゅうぶん悪者だと思うのですが、悪者はさらに保身を図ります。被害者である自分を蔑んだ夫と心中を図ったが自分は死にきれなかったと。ここが味噌ですね。ただ夫を殺したのではなく、心中の失敗だったのだというのです。策士です。
 とはいえ女性の描き方がひどいですね。陵辱して、なおかつ残酷な言葉を言わせて。そもそも勝ち気というのはこういうことじゃないでしょう! 女性として芯をしっかり持っている――え? 脱線してますか? すみません。
 そういうわけで、「藪の中」は順番通りに読んでいってどんでん返しに驚くという小説なのです。以上でわたしの――ああ、質問を受けるんですか。なにかご不明な点はありますか?

「はいっ」
 と手を挙げたのは桃ちゃんだった。どうぞ、と鈴子が指す。
「弓矢の謎はどうなるの?」
「ああ。弓矢にも謎なんてありません」
 鈴子は微笑んだ。
「旅法師が見たのは二十本あまり、放免が確認したのは十七本というやつでしょう? 桃ちゃんが武弘とおなじ弓矢を携えた人を街中で見たとします。矢の数を数えますか?」
「数えないね」
「でも、あとでお巡りさんに聞かれて、その人が矢を何本持っていたか聞かれたらなんと答えますか?」
「二十本くらいでした、って言うかな」
「でもちゃんと数えたら十七本でした。謎は――」
「ないね。わかったよ」
「ほかになにかありますか?」
 書いてるとおりと言われてそう質問の出るはずもない。

◆◆◆

「ではこれでわたしの発表を終わります」
 鈴子はぺこりと頭を下げる。ぱらぱらとまばらな拍手が起こった。
「では発表は明日行う。発表者は解散だ」
 花代が言って、鈴子らは小会議室を出た。

 翌日のお昼過ぎ、鈴子は屋上にきていた。青く澄んだ空には、遠くにわたのような雲がいくつか浮いているだけだ。
「鈴木」
 ぴかぴかのビルの間から広がる街並みをフェンスに肘を突き目を細めて見ていた鈴子は、花代の声に振り返った。既視感デジャブ。いや、これは実際の記憶だ。ちょっと前にもこんなことがあった。花代がコンビニ袋を下げているところも同じだった。
 鈴子はとぼとぼと花代のもとへ歩いていった。
 雑誌『みんなの健康』の企画に、鈴子の案は不採用だった。ちなみに桃ちゃんは五万円をゲットした。その説は「多襄丸は三人いた」である。
「ほら、安っぽいアイスモナカで元気出せ」
「ありがとうございます……」
 鈴子は花代が広げるコンビニ袋を覗きこんだ。中にはアイスモナカとデカプリン。ゆるゆるとアイスモナカを取りあげた。
「そんなに落ち込むな」
 花代が苦笑する。
「五万円、欲しかったなぁ……なにが悪かったんですかね? どこか間違ってましたか?」
 鈴子は、ぱりっとアイスモナカの袋を開けた。
「うーん、間違っているというよりも――」
「よりも?」
「小説の書き方から真相はこうだ、っていうのが面白くなかったかな」
「そうですか……」
 鈴子はうつむいてアイスモナカの端っこをちょっぴりかじった。
 花代はフェンスに肘をつき、眩しそうに目を細めて遠くの空を眺めた。
「まあ、なにかが採用される理由なんていうのは所詮藪の中≠ネんだ」
「その締めはなんだか苦しいですね」
 いつの間にかわた雲は姿を隠し、澄みきった青い空だけがふたりを見おろしていた。

 おしまい

小説のコメントコメント
この作品の著作権は、作者である くろひょう さんに帰属します。無断転載等を禁じます。

出落ちの感は否めませんね。
2018/04/01 20:10 くろひょう



このページの先頭に戻る ↑ 

はじめての方へ

小説投稿サイト・ShortSTORY

小説投稿サイトとは?

ミステリー小説・SF小説・ホラー小説の投稿。短編・掌編・長編オンライン小説/ネット小説投稿サイト『ShortSTORY』、ミステリー小説・SF小説・ホラー小説の投稿が無料。感想やコミュニティでの意見交換など

坂口安吾のすべて
チェンマイのレンタカー
レンタルバイク【チェンマイ】
チェンマイ・焼肉・日本式
チェンマイ・居酒屋・日本料理・和食・ガガガ咲か場