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エッセイ/その他

『恋』

教二晃則著



 あれは、幼稚園に通っていた時だ。私は恥ずかしながらませたガキだった。ませたと言っても性の知識が豊富だったとか異性の体に興味があったなどではない。
 単純に異性に興味があったのだ。
 なんと言うのだろうか、自身とは違う生き物と言う奴に興味があったのだろう。子供の好奇心と本能が、あれは自分とは違う生き物だと告げていたのだと思う。だが、質が悪い事に同年齢の者にはそう言った感想を抱かなかった。当時の私から見て大人の異性それに興味を抱いていた。
 だからこそ、あんなことをしたのだろう。すなわち、異性の大人に迫ったのだ。
 純粋無垢な子供の皮を被り、大人顔負けの欲を内心で燃やしながら自身とは違う生き物である存在を丸裸にしてやろうとしたのだ。
 それも、二人きりの時にそれをやった。無意識にこれはいけない事だという事を理解していたのだろう。
 そして、その時の私の嗅覚はなかなか馬鹿にできたものではなく当たりを引いていた。その人は初心だった。
 大の大人を卑猥であると同時に純粋な質問で困らせ、羞恥させたのだ。その時私は雷に打たれたかのような快感を覚えた。そして、その時私はその人に恋をしていた。
 これが私の初恋だった。今にして思えば馬鹿げた恋だ。しかし、その時の私は本気で恋に落ちていたのだ。
 私はそれを今でも恋と呼んでいる。何故ならあの時、あの瞬間、あの人で無ければ、私は恋をする事はなかったからだ。
 あの人は、私達ともよく遊び、良く動き、そして、よく笑う人だった。どんなに恥ずかしい事があっても、笑って済ます人柄だ。足がもつれてこける。あの時の私達にとって何でもない事が、大人のあの人にとっては恥ずかしい事のはずだ。それでも、心底楽しそうに笑っていたような人だ。そんな人が、顔を赤らめ、羞恥しながら私の質問に答えていく姿は今でも脳裏に焼くついている。今風に言えばギャップに負けたと言うのだろう。
 当時の私は子供だった。
 だからこそ、それが恋だとは気づかず、子供特有の独占欲丸出しであの人をたびたび困らせた。
 他の子が近寄ろうものなら意味もなく喧嘩し、一人でいる所を見かければ近寄り話しかけた。幼いながら、それが自身のできる精一杯のアピールだったのだろう。
 しかしまあ、結果は分かりきっていた。その人は私など相手にしていなかった。あの人は私の知らないところで他の者とくっ付き寿退社していった。
 その時私は、何かが崩れ落ちるような絶望感にも似た感情の波を感じた。そして泣きわめいた私を宥めてくれたのもあの人だった。
 そして、あの人がいなくなった幼稚園で訳も分からずただ只管にあの人への感情を大きくしていたのを今でも覚えている。
 そんな幼稚園時代の私の話だ。あの頃は若かったと言うよりも若すぎたと言うのが正直な感想だ。恋をした。しかし、それも理解できず、そして、何をしていいかさせ分からない。そんな私の初恋の話だ。
 今にして思えば、無謀な初恋である。まず相手は大人、私は子供で、更に言うなら相手は保育士、私は園児。もし、成就したとしても幸せにはなれなかっただろう。
 恋には幸せが必要だ。幸せだから、恋をするのではなく。恋には幸せというビジョンが必要なのだ。自身が幸せになれるというビジョン、それが恋を育てる。
 恋する人を選ぶなら、多くの人が選ぶのは共有してくれる人だろう。
 そう言った人は、相手と自身のバランスと言うのだろうか。どちらにも引け目を感じさせない相手だからこそ、選ばれる。
 幸せとは、バランスなのだと思う。
 自身ばかりが幸せを感じていては、破局するし、逆に相手ばかりが幸せではこれも破局する。幸せのバランスが上手くとれていなければ、立ちいかなくなる。つまり、幸せを両方が共有するものだからこそうまくいくのだ。
 恋をする段階から幸せを共有できているかが肝となると言える。
 そう言う意味では、この頃の私は相手の幸せを考えられていなかったのだ。それは見向きもされないわけである。一方的な押し付けにもなっていない独りよがりのアリアだったのだ。それも自身の幸せすら考えていなかった。ただ欲望のままにこの人が欲しいと言う無意識な勝手な感情、それしか持ち合わせておらず、あの人と何かを共有したいとさえ思わず、ただなりふり構わず構われたいと言う感情で突っ走り、人と共有すると言う行動すらできない未熟な私では到底あの人とは結ばれることはなかっただろう。一時の心の隙間に入り込むことすらできなかった。あの人にとって、私は大勢の中の一人だった。特別にすらなれずただの園児と保育士という関係で私の初恋は終わったのだ。しかし、私は、それを諦める事が出来なかった。未だ、恋とは何かという定義すら持たず、未だにあの人への気持ちを燻らせていた小学生時代の話だ。
 小学生と言うと一人で行動する事が多くなる頃だ。誰か大人が四六時中ついていた時とは違い自分の行動というものを持つようになる時期だ。学校に行き、大人のいない環境で遊び、自分の赴くままに行動する時期だ。
 そんな頃の私と言えば、そんな者達の例に漏れず好き勝手遊んでいた。私は、活発な方だったのだろう。外で遊ぶことが多かった。学校にある遊具で遊んでいた。
 ところで話は変わるが、小学生の頃の恋愛感情というものは何処から出てくるのかと考えたことはないだろうか。周りは皆遊びたい盛りの者達、誰かを好きになってその人を追いかけるよりも遊びたいと言う感情が大半を占めている時期だ。そんな頃に誰かを好きになると言う感情は何処からくるのか。
 人の心というものはまっこと不思議なものでそんな時期から誰かを好きになる感情豊かと言って良いのか、ませていると言って良いのかわからないが、恋に落ちる人というものがいる。私の場合欲望から人を好きになった。では、この頃に誰かを自然と好きになると言う時、人は一体どんな目を人に向けているのだろうか。
 小学校に入って環境が変わった。しかし、ほとんどが見慣れた者達だ。早々何かが起きる訳もなく。私はいつも通り他の者達の遊びに混ざり遊んでいた。この頃、私には特に仲の良い友達というものはおらず、よく遊ぶ友達程度の関係の者しかいなかった。
 誰とどのように遊んでいたか今ではあやふやでよく覚えていない。しかし、はっきり覚えている遊びがあった。それはよくある遊びで幼稚園児が良くやっている遊びの一つだ。
『おままごと』それがその遊びの名前だ。
 おままごと、父役、母役、子供役と役を決め食事風景を楽しむ遊びだ。そのおままごとは学校で行われた。私ともう一人で行ったおままごとだ。どちらが誘ったのか忘れてしまったが、その時行われた事は鮮明に覚えている。
 あの時は、私が父役、もう一人が母役をしていた。ありきたりな設定で行っていたのを覚えている。父役の私は、会社から帰り、キッチンで料理をしている母に声をかけると言う始まり方をした。そして、粛々と進む会話、並べられる疑似料理、確か、砂でお団子を作って並べていた。そして行われる楽し気な会話、単なるおままごとその時私はそう思っていた。
「好き」
 その子がそう言うまでは普通のおままごとだった。そして、その言葉を言った後、このおままごとはまるで違うものに変わった。
 後々知ったのだが、その子の家は両親の仲が悪かった。その為、両親の会話と言うのは大体が言い合いで、その後大体父親によるDVで幕を閉める事が多かったらしい。その為、その子は病的なほど昔からおままごとをしていた。要は、自身の理想的な家族がおままごとにはあったのだ。そして、その子はその時私にその理想を見ていたのだ。
 しかしだ。その頃の私と言ったら、その子の状況、環境など一切知らず、その子がどういう気持ちでその言葉を発したのかすら理解していなかった。だから私はその言葉も遊びの中のスパイスであると思いその言葉に私はこう答えた。
「好きだ」
 あまりも相手が迫真にそう言うので、私は真剣にそう返してしまったのだ。それからその子の表情は一変した。いきなり泣き出したのだ。そして、「本当?」と聞いて来るので、私は「本当」と言って、泣き止ませるために必死に言葉を紡いだ。
 そして、その子は突然私に覆いかぶさり、こう言った。
「じゃあ、あなたの全部を頂戴」
 その言葉は、告白だったのだろう。その子は、この時私に恋をしたのだろう。恋と言うにはあまりにも不純で、寄生的な依存だった。その子は限界だったのだ。それを幼いながらに理解していた。だからこそ、真剣に言葉に答えタイミングも良く異性だった私に恋をしてしまったのだろう。しかし、この時私は何も理解していなかった。その子の必死な助けの声であり、居場所を求めての言葉だったのだろう。
 だから、私は幼い残酷さでこう答えた。
「無理だ」
 この時私はまだ、あの人に恋をしていた。その為、嘘でも他人に全部を受け渡すなど到底できようもなかった。だからこそ、その子の要望にこたえる事が出来なかったのだ。
 そもそもが、まさか、その子がそこまで苦しんでいた事も知るよしもない。今の私でもこの様に言われたら同じような言葉を吐いただろう。
 その言葉を聞いたその子は、泣き崩れ、それを私は訳も分からず唖然と見ていた。
「じゃあ、もらってください。全部あげるから」
 そう涙声でいうものだから、私は軽い気持ちでその言葉に頷いた。それが、後々に響いて来るのだが、この時私はその事を知らなかった。
 今でも思うのだが、その子は私に何を見たのか、幸せな家庭、それもあるのだろう。だが、根本な所を私は今でも理解できていない。何を持ってその子は私に恋をしたのか。私には終ぞ理解が出来なかった。何故ならその子はその恋心を生涯持ち続けたのだから。
 その子は私が考える恋への定義というものをこの時からぶち壊す人物だった。そう言った恋もあるのだという事を教えてくれた人でもある。だがだ。私はそれを幸せへと結び付けうることが終ぞできなかった。だからこそ、私は余計この考えを持ち続けたのだろう。
 その子はあまりにも献身的だった。私のために尽くしてくれたと言えるだろう。しかし今でもその子と幸せを築けたとは思わない。何故なら、そこには私の考える幸せのバランスというものがなかったからだ。
 そう言う意味では、あの子との方が私は良い関係を築けたと思う。
 幸せのバランス、その考えに至った時の話をしたい。そもそも、私が恋には幸せとバランスが必要なのだと学んだのは、ある生徒を見たからだ。クラスという集団の中で、その子は一等目立っていた。誰にでも優しく、そして、誰にでも平等に接する人物だった。これだけ聞けばその子は、かなりの優等な人物と言えるだろう。クラスの人気者で多くの者から引っ張りだこ、器用に波風を立たせないように振舞い、そして、運動も勉強もそれなりに出来た。その幼さでそこまでできた人物を私はその人物以外に知らない。そう言う意味では、私もその子の虜だった。この人物に着いて行けば問題など起こらないと思わせる一種のカリスマ性があった。
 しかし、その反面、その子は限りになく不器用だった。誰にでも等しく接する代わりに特別と言える存在を作れない人物だった。その証拠に、人気だが、その子の周りには常に特定の誰かがいた覚えたがない。そう言う意味で、その子は孤独な存在だった。
 私は早い内にそのことに気付いた。そして、その子に向けている感情があの人に向けている気持ちに似ていることに気付いたのだ。それからは早かった。何故あの人は自身に見向きしなかったのか、それを考え、その子を観察し続けた。そして、至った答えが幸せとバランスだった。
 その子は、端から見れば幸せそうだった。周りから頼られ、笑顔を振り撒き、それに応える周りの人々、しかし、その反面、その子自身はどうだったのだろう。その子が放課後誰かと遊んでいる姿を見た事がないし、一人の時とても憂鬱そうな顔をしていた。私達はその子を頼るがその子が私達を頼ることはなかった。つまり私達とその子とのバランスがとれていなかった。その結果、その子は孤独になり、私達はその子を孤立させた。その関係が両者にとって幸せかと聞かれると、否であると言える。
 私はそこまで考えが至った同時にあの人への恋心を捨てた。結果の出た話であったし、それ以前にあの人から見て私があの人を幸せにできる存在に見えない事を悟ったからだ。
 圧倒的なまでの力不足、社会の事を理解していない時の私でもあの人を幸せにすることをできない事を悟るのには、その子との関係が私の未熟を証明し切っていたからだ。
 だからこそ、私は初めての恋心に諦めという形で決着する事が出来たのだった。
 そして、ここでも、その子に助けられたことを私は恥じた。だから、私はその子に近づいた。その子の特別になろうと私はその子に声をかけたのだった。
 最初は何といっただろうか。よく覚えていない。しかし、その子がいつもの笑顔を浮かべ笑って返してきたことは覚えている。そして、次の瞬間蛇蝎の如く嫌われる事になる。
 私の言い方が悪かったのだ。「友達にならならないか」と言ったのだが、それでは、今までの関係はなんだったのか。相手は少なくとも私の事を友達として見ていたのだ。それなのに、「友達にならないか」などと言ってしまえば、今まで友達だとも思っていなかったと言っている様なものである。
 事実、その子とは、何度も話したし何度も遊んだことがあった。それなのに、今更友達になんて言ってしまえば嫌われて当然だったのである。
 この時の私の失敗は、その子を軽視していた事だろう。友達のようなふりをして、友達だとは思っていなかった。それがあの子を怒らせた。それからだ。その子は私をいないものとして無視しし始めた。その子は完全に私を嫌ったのだ。
 しかし、それでも、私はまだその子との関係の方がまだ幸せを築けていたと思う。何故なら、その子は、私と関わらない事が幸せだったと思うし、勝手ながら私も嫌われているとわかっている子と話しはしたくなかった。ある意味ギブアンドテイクな関係を築けていたからだ。恋とは真逆とも言える嫌悪という感情だったが、それでも、一方的に幸せになれるような関係よりもいい関係が築けていると言えた。ただ惜しむべきは恩を仇で返してしまった事だろう。これが私の小学生の時に培った恋の定義であると同時に私の失敗の記録だ。失敗と言えば、他にもまだある。何分小学生の間、私はあの人への恋心を捨て去る事が出来ていなかった時代だ。そのせいで多くの失敗をしてきた。そのいくつかを紹介していきたいと思う。一つが、私に全てを捧げると幼いながらに宣言してきたあの子への対処だろう。あの子は所謂尽くしたい系の人間であることは語っただろう。そして、家族内でのDV。後から聞いた話では小学生時代にその子の両親は離婚し母方に育てられていたらしい。いわゆるシングルマザーと言う奴だ。そのせいでその子の母は仕事につきっきりでその子に構う事は少なくなっていたらしい。そのせいか私に四六時中着いて来るかまってちゃんと言うのだろうか。私的にはどちらかと言うと構うちゃんだったように感じられるが本人談では、かまってちゃんになっていたらしい。要は寂しかったのだ。それを幼い私に理解しろと言うのが不可能なもので四六時中私に構ってくるその子が私は煩わしく感じていた。何をするにもその子が世話を焼いて来るのだ。まるで、学校にも親がいる様な束縛感、それを感じていた。だからこそ、私はその子に厳しい言葉を浴びせた。子供ながらに相手を傷つけるような言葉を吐いたのだ。私にも我慢の限界というものがある。子供なら猶更沸点の低い事だっただろう。
 だがだ、その子はそれを嬉しそうに聞くのだ。まるで、私の言葉一つ一つが宝物とでも言いたたげな態度だったのだ。私は更にむきになり、更に言葉を放ち続けた。
 髪型がダサいだの、眼鏡をかけていてやぼったいだの、服装が地味だの、色々と言葉をかけた。後から思うと、それ等の言葉を吐いたのは失敗だったとわかった。
 その次の週だっただろうか。その子が登校してきた時全てが一変していたのだ。思わず私も見惚れるくらいにはすべてが一新されていた。野暮ったい眼鏡はコンタクトに変え、服装は最新のおしゃれな服装、そして、髪型も変えてきて誰もが見向きもしなかったその子が誰もが一目を置くような存在に変わっていたのだ。
 子供と言うのは単純なもので、いきなり変わったその子の姿を見て、羨望の眼差しを向けるようになった。それは今まで見向きもしなかった者達までもが手のひらを返したようにその子に近づくようになった。
 そして、人気者になったその子は変わらず私に尽くす事に終始していたが、距離感が絶妙で私を不快にさせない距離感で世話を焼いて来る。それに当時の私は気付かなったが、その子は私に気に入られようと努力してくれていたことにも気づくべきだった。
 聡い子と言うのは集団の中に何人かいるように私のクラスにもその様な子がいた。それも、その子が私にかいがいしく世話を焼いている所までも見抜いていたのだ。
 だからこそ私はそう言った子に絡まらまれるようになった。
 子供だからと言って舐めてはいけない。その子達の言葉は正論で何故私があの様に尽くされているのかという言葉をよく口にされた。勿論子供ながらの感情論も多々あった。しかし、私としても、何故ああも私に尽くすのか当時理解していなかった私はその子達の言葉によくわからないと言うしかなかった。
 そして、いつもそこに仲裁に入るのがその子だったので、ますます面白くない子達と、いつも助けらえられている私と言う図が良く出来上がっていた。
 そのせいか、いつの間にか私は聡い子達にとって目の上のたんこぶの様な存在になっていたのだ。はっきり言おう、これは、私が理解していたら避けられた事であったかと言うと否である。何故なら、私はその子の行動を生涯止められた事がなかったからだ。
 むしろ、年を重ねるごとにエスカレートしていったことをよく覚えている。更に質が悪い事に、私がそう言う手合いに絡まれているとすかさず飛んでくるものだから、私はその子のおかげでそう言ったトラブルに良く悩まされた。叱咤したのは今でも失敗だったと思っている。そのおかげで、今でもその手のトラブルが起きるのだから。
 私のトラブルの中心と言ったら、大体がその子だった。しかしだ。私もまだまだ未熟者だ。今ですら、未熟だと自負している。そんな人物が、トラブルを起こさないかと聞かれればそれは有り得ない。私自身が起こしたトラブルだってある。まだ小さく、ガキだった私。その時起こしたトラブルと言うのが、よくあるもので、誰かを好きになると言う感情をいつの間にか学んでいる者達からの質問だ。「好きな人いる?」という質問だ。
 私にとって、恋というものは経験済みで燻らせるものだった。しかし、その子達にとっては、その話題は楽しいものであり、興味深いものなのだろう。未だにそう言った話を好む者がいる事から、きっとその恋は楽しいものなのだろう。私には到底理解できない感覚だ。何故なら、私にとっての恋とは、苦しいものだからだ。
 話が逸れたが、そう言った手合いの捌き方などわからない。私にとっては、その質問は今でも大変苦手な質問だ。安易に答えれば話の餌食、更にはいないと言えば隠している見なされ、何度も聞かれる。大変面倒な質問だ。
 だからか、私はあんなことをしたのだろう。それは、逆にその質問をし、クラス中に言いふらすというものだ。かなり幼稚である。今にして思えば何故やったと思えるような事だ。そして、その事を切っ掛けに私の信用は地に落ちた。
 これは失敗だ。口が軽い人間だと思われたのだ。そのせいで、滅多に、私にそう言った話を持ってくるものはいなくなった。
 しかし、そんな私に恋の話を私に持って来た者がいるのだ。
 それが、当時の友達である。ある人に告白したいと言い出したのだ。私は、初恋を燻らせ、他人をそう言った目で見ていなかった。その為、その子がそんな事を言い出しても興味がなく、どうでもいいと言うのが本音だった。
 しかし、そのお相手と言うのが興味を引いた。そのお相手と言うのが、当時の担任の先生だったのだ。私の初恋は幼稚園の保育士だった。それに対して、その子の恋のお相手は担任の先生、類似する所が多く私は柄にもなくうまくいって欲しいという気持ちでその子の恋の応援に参加した。
 その担任の先生なのだが、春から先生になったと言う年若い新米の先生だった。詳しい話は覚えていないが、要約すれば、私達は持っていない大人の魅力にやられたと言う話だった。実際その先生は今から思ってもなかなか出来た人であったように思える。生徒に親身になり、私達個人個人を見ていた。面倒見がよく、よく遊んでくれた。短い間でもその人に惹かれる生徒はなかなかに多かったと思う。勿論人としてだ。
 その子の様に恋をすると言う程ではないと、今では理解できたが、昔の私はそのようには見えず、その先生がとてもモテていたように見えていた。
 私達は、今にして思えば稚拙だが小学生と言う事を考慮に入れればなかなかの出来の計画を立てた。その計画と言うのが、先生を誘導し、二人きりにして告白するという単純なものだった。まだこの頃の私はピュアだったと言える。今の私から言わせると、とてもではないが立てられない正面からの堂々とした計画内容だ。自身に自信がある人物でないととても実行できない内容だ。言ってしまえば人前で堂々と告白するような感じだ。私ではとても真似できない事だし、真似をしたいとも思わない。
 そして、計画実行の時、先生を私は呼び出し、その子と二人きりにした。そして、結果は、その子が振られると言う形で決着した。
 その子は、それなのに生き生きとした顔でそう言うのだが、私からすると、そんなに簡単に割り切れるのが恋とは言わないと言う気持ちを持っていた。その為、その事で言い合いになり喧嘩をした。そして、その時その子に言われた言葉が今でも耳から離れない。
「全力を持って振られたのだ」
 その言葉を私は今でも覚えている。幼稚園の頃とは言え、私はその人に気持ちを伝えただろうか。ただ自身がやりたいようにやって振り向いてもらおうと言う努力すら怠った。その事実があったからこそ、その言葉は私の心に深く突き刺さった。
 私は今でもこうしてその気持ちを燻らせている。対してこの子はどうか、自身の気持ちを伝え、相手もそれに答えた。
 私は、その子と殴り合いの喧嘩をした。理由は相手にとっては、言い合いの延長だっただろう。しかし私にとっては、ただの醜い嫉妬だった。相手に答えてもらえたこの子がひどく羨ましかったのだ。そして、喧嘩が終わった後私とその子は本音をぶつけ合い互いの気持ちが分かっていた。その為、その子が抱いていた気持ちが私には理解が出来た。
 要は、その子は本気でもあり、本気でもなかったのだ。本気で好きになってはいた。しかし、それが通ることはないと諦めてもいたのだ。
 小学生の恋は同年代でなければ本気と思われにくい。大人にとって、小学生の恋など通過点でしかないのだ。その為本気で取り合わない。しかし、先生は違った。本気で取り合い本気で振ってくれた。それがその子にとっては望外の立ち回りだった。
 それが嬉しくて、相手にされないわけではなくて嬉しかったといのが本音だった。その為、直ぐに諦められたのだ。
 それを聞いて、私はやはり羨ましかった。そして、私はどれほど自分が幼いのかを理解した。更に言うと、私の恋がどれだけ不毛かも理解させられた。だが、それでも捨てきれなかった。諦めは付いたが、捨て去る踏ん切りがつかないと言う感じだ。
 悔しかった。私にはその子が、私よりも大人に見えた事がではなく、好きになった相手がそこまでできた人物だったかさえ分からない事に苛立ちを覚えた。私は、あの人がどんな人物かさえ知らない。それなのに、恋をし捨てきれないでいるという事に好きな相手の事を碌に知らないという事に私は言葉にできない感情を抱いた。
 これは憧れだったのか、はたまた本当に恋なのか、それとも別の何かかそれが分からなくなっていた。今では、恋だと言いきれる何故なら、私は子供の時の恋などというものを軽視する大人になっているからだ。しかしこの頃の私は違う。その事が死活問題だったのだ。小学生まで引っ張ったその初恋、終わったのは諦めから、しかし決定的だったのは、あの出来事があったからだろう
 その出来事は、初恋にも見切りをつけ、色々あった小学生と言う時期に終わりを告げる卒業式での事だ。今に思えば、何故そうなったと言いたくなるような事だ。それはつまり、私としては予想外で、相手からすれば当たり前の事だった。
 それこそが、卒業メッセージと言う奴だ。私達の卒業に際しあの保育士が私達に会いに来てくれたのだ。それが懐かしくて、面識のある者達は皆その人に集まった。そして、私もその人の周りにいた。その時には私の恋も落ち着いておりその人に対してどうとも思っていなかったつもりだった。しかしながら、その人を前にすると、やはり、思いが再熱し、顔を赤くしてうまく喋れないでいた。恥ずかしかったのだ。少し大人の階段を上った者としてはどうにも当時の事を思い出し、自身がこの人を困らせてばかりだった事を考えると
どう声をかければ良いのか分からなかったのだ。
 そして、私はろくに話をできぬままその人は去って言った。
 私はそれを追いかけ、その人に声をかけた。そして、私は告白した。その時出た言葉が「あなたの羞恥顔素敵でした」
 だった。それにあの人は苦笑いを浮かべ去って行った。それが、本当の意味での初恋の終わりだったのだろう。恋は諦めた時点で終わる。そう言う意味では、諦めた時に私の恋は終わっていた。しかし、この時再熱した気持ちそれを人は何と言うか私はこう言いたい。
 憧れそう言っても良いだろう。
 恋は終わり、憧れを持ってその人に相対し自身の気持ちも言えた。これほどまでにきれいに終われたのは偏にその人の気概の良さがあったからだろう。
 私達の卒業式に来るとは思わなかった。もしかしたら、私の気持ちを知っていて会いに来たのではないのだろうか。そう思えるような出来事だった。真相は知らない。その人しか知る事が出来ない事だ。しかし、私はそう思う事にした。何故なら私はその方が浪漫があると思ったからだ。

作品のコメントコメント
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下手くそで稚拙ですが恋について書いてみました
2018/11/16 17:09 教二晃則



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