『処罰感情』
なるTO著
最近はいろいろと住みにくくなってきたように感じる。
何を言っても、行ってもすぐにたたかれる。僕たちの国に言論の自由なんてあるようで実はないものなんだと思う。
別に批判することがダメなのではない。どういった角度からその物事をとらえて、批判することが大事なのだと僕は思う。ただ批判をするだけなら小学生でもできる。僕たち大人は子供たちの手本になるように考えて物事をいうべきなのではないのか?
今の世の中、批判をする人間の多くは、物事を考えたりもせず、ただどこかのコメンテーターが言ってることに深く考えもせずに便乗しているだけなのではないのだろうか?
そんなのは僕が思うに考えることを放棄して流れ作業をこなしているだけのように感じる。だって、誰かの意見に乗っかればそれで済むんだもの。
例えば、芸能人の不倫騒動もそうだ。誰かが不倫をしたらすぐにみんな、寄ってたかって不倫したやつを批判する。
そんなのその家庭の問題なのだから気にする必要はどこにもない。たとえ、その芸能人になにか嫌悪感を感じたなら、顔の見えないSNS上で批判的な意見を発表するのではなく、心の内に秘めておくか、これはかなり実現する可能性が低いが、自分がその芸能人に直接言ってあげたほうがいいのではないかと思うのだが?顔の見えないSNSで、批判的なコメントをいうことのほうが不倫なんかよりももっと浅ましい行動だと思う。
多分、人はだれかを処罰したいという処罰感情にかられるから誰かを批判したがるのだ。そんな感情捨てられるなら捨てたほうがいい。そうすれば誰かが傷つかなくて済む。誰かが泣かなくて済む。
今日は月がうっすらと見えた。このぼんやりと見える月のように人の心はうまく見えない。けど、僕のこの記事で誰かの気持ちを少しでも動かすことができたら、それは僕の一生の自慢だ。

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長々と
書いて言葉を
まとめれず
コメントありがとうございました。これからも読んでいただけると幸いです
2018/02/11 23:16 なるTO